高橋洋一氏のNHK改革論と価値観を更新できない世論


高橋洋一氏のEテレ閉局案の話だけど、これに対してEテレを守れみたいなことを吹きあがる人がいるけど、どんどん子育て世代には配信が浸透してきて、そうして育った子供たちには決まった時間に放送されるテレビをみるという習慣が育たなくなっていってきているのである。

そのある種の象徴とすべき事態が昨年のドラえもんの夕方枠への引っ越しであろう。

animeanime.jp

藤津亮太氏は、ある一定年代以上の世代が持つ「TVアニメの檜舞台は19時台」という思い込みがあると指摘し、テレビ局の編成部にある「どのような時間にどのような番組を流すかを決める、視聴率をあげることでCM枠の価値を増し、会社の利益を最大化する」という価値観からは“戦力外通知”を受けたのだと指摘し、その価値観を「中央」とするなら「外周」にある深夜アニメや配信を開拓してきたと指摘する。

放送法は、インターネットはおろかビデオすらない昭和26年に制定された法律でもはやこうした今の動きには対応しきれていないのであるが、大多数の人たちは、インフラとコンテンツは一体であるという昭和26年の価値観しか持ち得ていないようである。

もちろん、放送局はこうした動きを察知し、生き残るためには何より配信と同じ土俵に立つしかないが、NHKが何かしようとしたら民放から民業圧迫の批判を受けるし、何より何をするにも国会マターになる特殊法人という組織形態が新しい動きの邪魔をしているのである。

民放にしてみたら一法人につき地上波は原則一つしかないのに、NHKは2つも与えられ、そのほかにBSやラジオなどを合わせたら9つの電波があるという時点で対等な条件ではないと考えてるので電波の整理を訴えるだろうし、逆にNHKからしたら「SNSで国民の強いNHKへの支持があった」として受信料義務化への口実としたいだろう。

一見すればいい加減な思い付きにしては希望の見えないパンドラの箱を開けるような話だが、それこそが彼の真意な気がする。
NHKの議論をしてて、このままでは持続可能性がないにもかかわらず根本的なグランドデザインの話を国はしてこなかったのである。

なんども言うが、もはや昭和の価値観や制度のままでは、放送の在り方は放送文化は持続不可能であろう。放送の強みは最大の同報性であるが、それすら価値観の多様化で怪しいことになってきているが、SNSを見てると8~90年代のようにジャンプが600万部、宇多田ヒカルのCDが700万枚売れるような時代から更新されていないような気がするが、どうにかして今の価値観に共感はしなくても理解してもらわないと本当に放送文化は終わると思うのだが…。

「世界観をリセットするのが伝統」とムーブする古参ファンに嫌気が差した話

 前回の続きから。今回の件で古参ファンが異口同音に発した「アイマスは設定や世界観リセットするのが伝統のコンテンツ。そうであることに早く慣れろ。」と言った趣旨の発言に凄く嫌気がさしました。

 正直、その発言自体今までゼノグラシアだのJupiterだの出してきてミリオンでは後輩も出来てるのにCSは延々と新人アイドルからやらされることに、何一つ違和感を持たない人間の生存者バイアスを感じますが、それはさておき、

 そもそも「凛世の件に反発する人は新規ファンだね。若いねえwwww」と決めつけているけど、エビデンスあるんですか?反発した一人の人権派義士氏もアケマスからの古参ファンだし、仮に新規ファンだとしても、今日日CSマスよりも洗練されたコンテンツはなんていくらでもあるわけで、そうしたコンテンツを味わった人間が「昔からの伝統」とやらを押しつけらるのは暗に「嫌なら出ていけ」と言ってる物で反発しか招かないでしょう。

 だいたい、キャラの積み重ねとか整合性というなら(余り大きな声で言えないけど生身の人間が素のまま演じている)、VTuberは圧倒的かつ究極的に優れているわけだし、シャニマス自体が今までの積み重ねを大事にすることが売りのコンテンツで、そうしたものが受け居られているってことは時代が変わったという可能性を疑えないのでしょうか?

 得てしてそう言うことを言う人に限っていわゆる「みんマス」思想だったりするのですが、シャニマスをプレイしてあのゲームの「異質さ」に気が付かないのでしょうか?まあ、気が付かなかったり、実は「みんマス」と言いつつシャニで遊んでないのだから、こんな発言をできるのでしょうし、「アイマスが多すぎてアイマスをする時間が無い」なんて言われてるけど、今や300人のアイドルが居て、5系統のコンテンツが動いていて、その一つ一つを把握するなんて土台無理な話ですからね。ガミPですら把握してるんですかね?

 「設定をリセットすること」のメリットなんて彼らの口からは聞いたことがなく、「そうするのが当たり前」と思考停止して受け入れている様はまるでイエスマンみたいに感じましたし、あんな敷居を自分から勝手にあげるようなイエスマンばかりのコンテンツに先はあるのかと本気で心配になりました。

 中には「ファンたちに定期的に冷や水ぶっかけるのが良い」みたいなことまで言ってるAS担当の人のもいましたど、それならASの声優を交替するか引退させても同じ事を言うのでしょうかね?

 まあ、スタマスなんてどうせ買いませんし、スタッフにおかれましてはもし次があるならもっと良いゲームを作って下さいとしか言えません。

結局シャニマスPはスタマスの何に怒っているの?

 昨日(10/6)のスタマスに凛世がでるようになって大炎上して、それに対して古参が一斉にシャニPというか凛世Pに向かって「ファンとと公式との付き合い方」みたいなのを説教しているけど、どうも何が炎上しているのか理解して無いんじゃ無いかなと思います。

 「並行世界だから不満なんだろう」という人も居たけど、シャニマスだってプロデュース毎にWINGに優勝したり、一次予選に敗退したりするその様はパラレルワールドそのものだし、よくよく考えればシナリオ一つ一つの時系列だって本当に整合性取れてる(今は取れていても今後も維持できる)のか怪しい面もある。なんなら、コミカライズなんてWINGの予選形式が変わっていたり、イルミネが一番後輩で他のユニット(ノクチルとストレイライトは現在未出演)はある程度売れていたり、並行世界というものになじみが無いわけでは無いのです。

 じゃあ、何が不満なのかと言えば、シャニマスは「公式が強くシナリオに強い作家性を見いだす」傾向があって、スパロボ式クロスオーバーはそこがなくなって雑な扱いになりそうなことへの不満と反発なのだと思います。

 誤解を恐れずに言えば、他のタイトルは公式が弱くてシナリオもいい加減かつ適当なもので、3DCGの技術とファンの情熱で突っ走ってきた歴史なのだと思います。

 これはアイマスに限った特殊な状況じゃなく大塚英志が1989年に『物語消費論』で提唱した「ビックリマンチョコで消費されていたのはチョコレートでも、シールでもなくフレーバーテキストに語られた『物語』であり、消費者はその背景を想像することを消費している」のだという「物語消費論」に近いものがあるでしょう。

 たとえば、坂上さんも「黎明期のアイマスはユーザーの二次創作主導で作られた物だった」ということをおしゃって居ましたが、ニコマス文化が伸びたのは公式が弱いからこそ二次創作が盛り上がっていた面もあったと思うし、モバマスで100人以上の「変なアイドル」(当時のキャッチコピー『変なアイドルがいっぱい登場』より)を用意できたのも公式が弱く、カードに据えた一言二言の会話で必要充分だったという面も大きいのでしょう。

 だけど、シャニマスは公式が強固で、むしろ「物語消費論」で語られた「消費者はその背景を想像すること」よりも以前の消費形態である「消費者は与えられたものを享受する」というスタイルに近いと考えています。

 もちろん、シャニマスも二次創作自体は盛んなのですけど、「物語を自ら作ることAS」と「物語を与えられ(てそこからリアクションす)るシャニマス」って同じ『アイドルマスター』というタイトルであっても性質は水と油と言っても良いわけで、その実は『アイマス』と『ラブライブ!』くらい違うのではないでしょうか。

 ただし、283Pにも落ち度もあるし、古参にも正論が有るとは思います。
 
「凛世は283P以外にプロデューサー様なんていうはずがない」という主張があるけど「役職+様」なんて「ディレクター様」なんて言ってきているし、そこまで公式が外してるとは思えませんし、案外売りのはずのシナリオも読まれていなかったり忘れられてたりするのかなとは思います。しかしだな、親愛度MAXになれば「あなた様」と平気で言ってきそうな気はしなくもないですが。*1

 他方、古参も「公式なんて都合の良いところだけ取ればいい。盲信するな」ということを言ってきてますけど、それ自体は正論だとは思います。どの公式だって100%都合良くは行かないのですから、他の複数の*2タイトルを見つけて広く浅く消費するのが一番精神衛生を保つのにいい付き合い方なのと思います。

 しかし、今回の発表の数日前のニジガクのアニメが注意深く「これはスクスタと違うパラレルワールドですよ」と丁寧に描いていたのに、この雑さはなんとかならなかったんですかね?いっそ登場人物が全員765の新人アイドルだったらここまで荒れなかったかも知れないですがね。まあ、そうなれば別の所から火の手は上がりそうですけど。

*1:これって言うなれば、美希が283Pをハニー呼ばわりするようなもの

*2:他マスという意味じゃなく、出来れば提供する事業者からして違う

アイドルを人質にとってることを良いことに殿様商売をするアイマス運営

※これはお気持ち表明です

アイドルマスターに本腰を入れてプロデューサーになってまだまだ新参者と言って良い立場なのですが、どうもアイマス運営のとにかく保守的で受け身な姿勢にイライラさせられること然りです。正直アイドルマスターというコンテンツをもっと広く知ってもらおうという姿勢が運営には見られないように思えます。

このままなら5年後このコンテンツは潰れている気がします。

コラボは先方から声をかけるが基本

坂上Pのインタビューを見てみてみたらコラボは「先方から声を掛ける」という話なのですけど、基本的に売り込みはやらないんでしょうかね?『バンドリ』が午後の紅茶のリアル宣伝を貰ったり、Aqours「手も気持ちもぴっかぴか!」なんて厚労省とのポスターの仕事を貰っているのを比べたらコラボの規模が凄く見劣りする気がします。

 シャニマスなんてようやく二年目の春に養老乃瀧が初めてのコラボなんですから、コンテンツ立ち上げ時でも軌道に乗ったときでも関係なく、自分から営業なんてしないんでしょう。新プラットフォームのローンチータイトルという一番重要な時期のはずなのにそんな態度だから1年目はあんな悲惨な売上だったんですよ。

 アイマスというコンテンツがニコマスで広がっていたという成功体験から、「別に宣伝しなくてもタダで勝手にファンが広げてくれる」という意識が強いのかも知れません。春先のVTuberシャニマス配信ブームもVTuberにお金払って宣伝して貰ってるんだなとみんな思ったのでしょうけど、その後のトラブルを見たら自発的に広がったものみたいですし。

 DJKOOとかビリーバンバンとか大御所とのコラボは凄いと思いますが、これは非常に申し訳ないですが、エコーチャンバーにはなり得ても、あれで新規が来るとは思えないんです。まあ、ミリシタの宣伝ソングと称してチュパカブラを選択肢を出してそれを選ぶ程度のファンと運営しかいないのですが。ひょっとして、Twitterのトレンドに一度乗れば「宣伝になった」と思ってるんでしょうか?

 塩見周子・幽谷霧子・豊川風花・桜庭薫と主要なプロダクションに一人ずつ元医者や趣味が献血と書いている人が居たり、4人とも血液型がバラバラ*1なんだから、これほどコラボにうってつけの題材もないと思うのですが、日赤から声が掛からない限りやらないんですかね?

 投票企画があったりしたら、(アイマスファンという意味の)プロデューサーは宣材資料を作成したり、当然ながら作中のプロデューサーも営業回りに行ってる描写があったりと、みんなアイドルの売り込みに懸命になってるのに、(アイドルマスターというゲームそのものの)プロデューサーは、売り込みをせずにでーんと構えてるだけというのはどうなんですかね?

 ま、バンドリの午後茶やバンドリの厚労省コラボも向こうから声を掛けて貰った末の企画なのかも知れませんが。

アニメも受け身?

Mマスがアニメになったときには「アニメ化には出会いやタイミングも必要で、 男性は 女性より歩幅が広いからミリオンより先にアニメになった」ということを坂上Pが言ってましたけど、それなら、ミリシタが出たときがコンテンツを売るという意味では一番の売り時だったと思います。

 デレだってデレステは5年経ち、モバマスも10年も続けて勤続疲労が目立つ昨今。もういちどコンテンツの起爆剤としてのアニメという点では新キャラ声優7人が揃った今が一番の旬ですよね?彼の言うベストなタイミングって一体何時なんですかね?パチンコ化の話があったときなのでしょうか?

 アニメも自分から主導して企画を立ち上げないで、基本的に「先方から声を掛けて貰う」のを待つ姿勢なのでしょうか?そんな姿勢を取っているのであれば、アニマスやモバアニでは製作委員会におけるクレジットの筆頭ではあるのですが、実際に出す資金なんてお付き合い程度で実際のアニメはノータッチなのではないでしょうか。おそらくミリオンのアニメもパチンコの販売元と噂されるSANKYOが殆どお金出してくれるのでしょう。

 そりゃ、サンライズのオリジナルアニメな『ラブライブ!』だったり「キャラクターとリアルライブがリンクする」が売り文句で最初からあらゆるコンテンツに投入すること前提の『バンドリ』とは違ってあくまでもゲームファーストなのはわかります。

 そもそも自分で企画を立ち上げて、当時はアイドルアニメなんてモノがなかった時代で方々に断られた挙げ句に出来たのがゼノグラですし、出来ればやりたくないものなのでしょうか?

持て余している感がありありのASと新技術と、どのアイマスも好きなこと前提の越境施策

 アイマスMRとかあふぅTVは大変素晴らしいものがあります。ただ、VTuberとは格段に負担が掛かるものですし、そもそも演じる劇場自体がないということもあるので仕方ない面はありますが、軌道に乗るまで赤字覚悟で種をまかないとどうにもならないと思うのですが、今のところ散発的な試みに留まっている感じがあります。

 こうした場に投じられるのは経験が豊富で、高齢化やママさん声優も多いという現実的な事情もあって大抵ASなのですけど、ミリオンが一大コンテンツに育ち、声優のプライベートの制約も多い現在では13人しかいない765プロだけでの展開も限界が見えてて、かといってミリオンに完全合流するわけにも行かずという持て余し感が見え見えです。

13人という(アイマスのタイトルの中では)少人数と知名度を生かして他のソシャゲとコラボとかしたら良さそうなんですけど、自発的に売り込みしないなから無理ですね。

 更に言えば、最近ハンズとかアニメイトとか全作品コラボをやってますけど、他マスにファンを還流させること自体は正しい施策だと思いますが、ミリが好きな人がデレが好きとは限らないし、デレなんてNGと楓さんくらいしかしらない状況もあり得るのに、グッズだけズラズラに並べても余り意味ないんじゃないかと。

 他マスにファンを還流させるなら、まず他マスのことを知ってもらうところから始めるべきで、折角Youtubeチャンネルがあるのだから、バンドリTVのように全てのアイマスをテーマにして司会の声優さんを週替わりにした情報番組とか越境SDアニメとかやらないのかなと思うのですが、まあ、無理ですね。(二回目)

サブスク?死んでも嫌だね!(大和田常務風に)

 ここまでつらつらと不満を書いてきましたけど、ナナシスみたいに「アニメはやらない。やるときプロジェクトが終わるとき」なんて考えている所もあるので「やらないことがポリシー」というならまだ甘受できなくないのですが現状で意味一番の不満点はこれですね。

 何もドラマCDも配信しろとかオフボーカルも配信しろなんて言ってませんし、発売と同時に出せとも言ってません。『アイカツ!』も『ラブライブ!』も『電音部』もサブスク配信をしているのに一向に出してきません。一年遅れでも構わないのに一向に出してきません。

 アニメになるよりもローリスクで宣伝になるし、面倒なCDの出し入れなんてしなくても済むし、「興味はあるけど買うほどでも無い曲」とか「今では入手が困難な曲」もフルで聞けるというのはファンにとってはメリットしかないし、一再生ごとに数銭のお金が入るのだから、YouTubeに無断でアップされた曲を聴かれるくらいなら配信した方が運営側にもメリットはあるはずですが、CDの売上減少を恐れてるのでしょうか?

どうせ配信したところでプロデューサーなんてイベント目当てで初版限定盤を何十枚も買うんでしょうし影響なんてなさそうですが。

まとめ

 間違いなくアイドルコンテンツを開拓した先駆者だったのですが、今となってはフットワークの重さがとにかく目立ちます。

 10年前の成功体験や失敗に未だに囚われて新しい施策を打ち出せていない気がしますが、今の制作陣が引退して高山さんが偉くなるころには変わってるのでしょうか?それまで持つかは別として。

 他に代わりがあるなら「辞めてやる」と言いたくなりますが、本編や楽曲、二次創作*2は質量ともに素晴らしいものし、なによりアイドル(キャラクター)には代わりがないのであるので離れられず、まるでアイドルを人質に取られてるようです。

 そりゃ、コンテンツにはなんかしら短所がありますし、追い続けるとどっかこっか不満点は出てくるものですが、どこからもなんとかしろという声が上がらないのでしょうか?坂上Pより上の立場の人間は何も言ってこないんでしょうか?殿様商売というものは余裕があってようござんすね。

 

*1:薫はA型、周子はB型、風花はO型、霧子はAB型

*2:バンドリなんて低年齢層が多いのか二次創作の層が薄すぎて、μ'sの頃からラブライブ!のファンコミュニティに参加していた人の地盤があるとはいえ現時点(アニメ化直前)のニジガクの方がまだ盛り上がってる気がする。

アニメ業界が貧しいのは製作委員会方式のせいじゃない

 良く日本アニメの問題は「製作委員会方式だ」という人が居るのですが、使い方によっては今でも有効だけど、必ずしも適切じゃない使い方でも資金確保の手段という一点に置いてのみ援用される手段だろうと思っています。

製作委員会方式のメリット

 製作委員会方式のメリットは、リスクを分散させることで経営のセンスが無くてもアイディアを持ってる人が金とリソースを集めやすくすることなのですが、そんなにアイディアやらクリエイティビティにあふれた人がゴロゴロ居るわけじゃない。
アイディアはあるけどアニメは作れないだとか、アニメは作れるけどアイディアはないというケースが圧倒的に多い。

アイディアはそんなに転がっていない

 結局そうするとどうなるかというかと、アイディア(があるけどアニメが作れない会社)を元に、資金を集めて、アイディアがないアニメ会社にアニメを作らせるわけなのですが、そうなると殆どの場合はアニメ会社は下請けになってしまう。

 下請けである以上は、受けた金額よりも安く上げないと利益は出ないというシンプルな話だけど、それに、いくらリミテッドアニメーションが大量生産する手段としても、受けた金額より安く仕上げろというのはあまりに工業的すぎるし、得てしてアニメ会社はアニメ「だけ」しか作れない、経営の素人なので安く上げられない。だからカツカツになるという話なので、これは製作委員会と関係ない業界の構造的な話です。

一作ぽっきりに向く方式

 世の中にはめったに居ないけど、アイディアがあるとか、何年も続く長編には向かないけど一作で起承転結を描かせると上手いって人は確実に居て、例えば宮崎駿とか新海誠とかのように「アニメ作家」と言われるような人が良い例で、ああいった人達は次々と新作を撮らせた方が良い。だけどアニメは金が掛かるし。そうした場合に限って製作委員会方式というのは有効なんだろうと思います。要するに一作ぽっきりっていうなら製作委員会方式は非常に向いている。

一作ぽっきりでは世の中は済まない

 だけど、得てして人気作には続編が求められるわけです。けものフレンズなんて「たつき監督で続編」って声が圧倒的だったのですが、考えてみるとたつき監督でヒットしたのは疑いようがないけど、その監督は明らかに宮崎とか新海みたいなタイプなんで、何年もけものフレンズの続編に縛り付けるというのは損失だろうし、おそらくあの降板劇が起こらなくてもいつかは袂を分かっていたように思えるのですが、いずれにしても人気作には続編が求められるのです。

コンテンツは泥水をすすってでも続けろ

 私は「コンテンツは泥水をすすってでも続けろ」と言うのが持論なんですが、実際『ドラえもん』なんて『さようなら、ドラえもん』で終わってしまったら藤子F先生もドラえもんも顧みられない存在になっていたかも知れないし、『名探偵コナン』なんて原作の登場から四半世紀すぎた今、映画をやれば100億近く稼いで、コミケでジャンルが独立するような存在になってるけど10年前に終わっていればこんな高みにはならなかったわけです。業界も企業である以上ゴーイングコンサーンが成立していないといけないし、作品ラインナップの多様性という面でも、続けることが前提の作品は絶対に必要なんですけど、どうも世の中の評価は宮崎や新海が日本アニメの全てとみられる感がある。

続けるには変わり続けることが必要

 話は戻しますが、製作委員会方式はどうしてもレスポンスとフットワークが重くなってしまう。そもそもアニメという表現媒体は決まった「枠と尺」にしばられてしまうし、時間がどうしても掛かる表現媒体なので数年かかってしまって出る頃にはもう飽きられてしまうと言うことが良く起こる。

 そもそも続けるために、常に新陳代謝が必要でそのためには時には新キャラを入れて、場合によっては実写パートを入れるという選択すらも必要になってしまう。続けようとすればするほど製作委員会方式というのは弊害が出てきてしまうのではないかと思うのです。

アニメからソーシャルゲーム

 2010年代のオタクシーンというのは一言で言えば「アニメからソーシャルゲーム(をコンテンツの中核としたメディアミックスプロジェクト)に主軸が遷った10年」と言えるのですが、ソーシャルゲームと言うのはテーマパークに例える人が居たけど、実際資金回収もテーマパークに似てて、多額の資金を最初に投入してそれを長期にわたって回収する装置産業で「続けることが前提のコンテンツ」と言えるわけで、常に作品の継続性と情報発信が求められるスタイルが今のスタイルに合っているとも言えるわけです。

アニメしか作れない会社も潤せるビジネスモデルに

 とはいえ、製作委員会方式を止めると今度は資金提供という作品製作の根本がたたれてしまいます。

 おそらく広告代理店のような搾取すると言われる側ですら弊害は認識してるにしても代えが効かないから製作委員会方式を続けざるを得ないというのが実態じゃないでしょうか。「製作委員会方式を止めれば解決」「広告代理店を排除すれば解決する」ならとうの昔にアニメーターは豊かになっているでしょう。

 そもそも世の中のアニメ会社の大半はアイディアも商才は無いけどアニメだけは作れるというところが大半でそうした会社を潤せるビジネスモデルじゃないとアニメーターの待遇は永久には良くならないのではないでしょうか。それが出来たら苦労は出来ないでしょうが。

 

バンナムがライブを再開してブシロがライブを開くのは祖業の違いという話

昨日のバンナム株主総会で言明されていた「これから無観客(オンライン)ライブのことを考える。リアルイベントはまだ出来ない」ってバンナムの姿勢、NPBJRAですら早期の限定的な客入れを考えてるのに「随分フットワークが重いなと」思いますけど、バンナムの祖業が「玩具やアーケードゲームの会社」でブシロ(というか木谷会長が山一から独立して始めたブロッコリー)が「イベントのプロモーション会社」という性格の違いなのかなとも思います。

www.yomiuri.co.jp

hochi.news

バンナムブシロードの音楽系コンテンツは表面的には「ソシャゲがあって、アニメをやって、ライブをやって」と似たようなビジネスモデルだけど、
祖業の違いで実はコンテンツにかける性質はかなり違うのでしょう。この二つの違いをかなり極端な言い方をすれば

  • ブシロードにとってライブというものはコンテンツそのもの
  • バンナムにとってライブは究極的にはファンサービスに過ぎない。したがって「リスクをとってまでやる価値は低い」

例えば、BanG Dream!のキャッチコピーは「キャラクターとリアルライブがリンクする次世代ガールズバンドプロジェクト」と銘打っており、声優によるライブとキャラクターコンテンツはコンテンツの両輪の輪であると明言していますし、殆どのブシロード主催のコンテンツがライブないしはトレカを前提に企画されていることに気が付かされます。

まあ、バンナムも「コト消費」が叫ばれていたご時世に渋谷に劇場を建てる計画があったのでライブコンテンツは単純なファンサービスと割り切ってるわけではないのですけど、二社を比較してバンナムの方がライブへの依存度というのは低いというのは事実でしょう。

 この二社に限らず、どんな大企業にも祖業という物に縛られています。

 例えばAppleはデバイスを売る会社で、Googleはデータを処理してその成果で客を集めて広告で稼ぐ会社でMicrosoftはプラットフォームとツールを売る会社だし、ソフトバンクは祖業はソフトの卸売会社で、商材を仕入れて右から左に売るだけの会社。会社そのものがより高く売れるなら執着せず余所に売ってしまうことも厭わない。

 この辺りの経営哲学は孫氏の座右の書の『ユダヤ人の商法』(藤田田)の「ユダヤ人は会社を大きくして執着せずに売る」という下りにも影響されてるのでしょうけど、iPhoneYahoo!もWeWorkもソフトバンクにとっては商材での仕入れで自分で技術を作ったりサービスを考えるような会社でもないのです。

 3月頃から言われていたTモバイル株の売却が決定したようですが、携帯電話や電力業のようなインフラ業までもそうしたマインドを平気でやってしまう欠点もあるけど、事業に執着無く売って、会社の業態がどんどんと変わってしてしまうのは他方で殆どの日本企業にはないある種の美徳*1だし、欠点と長所は表裏一体ということなのだろうなとも思います。




 

*1:競争力があるときにその事業に執着して、中韓が伸びてきても成功体験を変えられずに、競争力を完全に失い、結局二束三文で売ったり、多額の特損を出して撤退して、結局体力と競争力を摩耗するだけの結果になったという話は列挙にいとまが無い

ミリシタの人気が落ちてるんですって?

 最近ミリシタの傍目に確認できる指標がどうも下がり気味です。すぐにサービス終了という話でもないのですが、やっぱりどうもテコ入れが欲しいなと思うところで、正直なところマンネリ化と内輪受けが進んでいることが原因じゃ無いかと思うのです。

 全体的にアイマスというコンテンツは15年の歴史があって道なき道を突き進むコンテンツではあり、その歴史は財産であるのですが、逆にその歴史の長さと試行錯誤の歴史故に他のプロジェクトでは採用されていない手法やより洗練された手法も未だに残しており、ある種の財産と負債を両方抱えているコンテンツで有ると思います。*1

 それに加え近年ではバンダイナムコグループの基幹IPとしての役割もあり、どこかしら守りに入った面もあるように見受けられます。

 さて、ミリシタは765プロが舞台で先輩に当たる765ASとの共演が日常的で、ある程度ASに思い入れがあることが前提になっているように思います。現状ではASは数年に一度のライブとコンシューマくらいしか活躍の場がないので、事実上の活動の拠点がミリシタとならざるを得ないのですが、この前もどこかのミリシタから入ったプロデューサーが「お気持ち表明」をしていましたが、正直ASに興味を持てないと、「なんかおばさんが演じてるキャラが先輩面してたまに出しゃばってきて出番を奪ってくる」程度にしか思えないでしょう。

 そういうファンに対して古参は手厳しいのですが、やっぱり「アニマスを見ろ」「まなマス読め」じゃなく、例えばバンドリのガルパのようにミリオン時空の前日譚を実装して彼女らがどういうキャラクターなのかをしる機会を与える必要があると思います。

 正直言って今のミリシタのコミュってメインコミュが金太郎飴の如く大体同じような話で、イベントコミュもCD買わないとよくわからなかったりだし、アイドルとプロデューサーだけじゃなく、それこそバンドリのエリア会話やラウンジ会話じゃないですが、アイドル同士のコミュももっと増やして欲しいと思う次第です。それもコミカライズを読めということなんですかね?

 あと、「ASに思い入れがあることが前提」って話にも通じることですが、正直全体的に内輪受け。180連ガチャ無料のCMとか声優とプロデューサーが出演してたり、チュパカブラとか確かにTwitterでトレンドが入ってましたけど、あれで本当にミリシタやろうとするひと何人居るのか甚だ疑問です。

 これはアイマス全体に言えることだけど、いつになったらサブスク解禁するんですかね?曲は良い曲は良いといいますけど、今のご時世山口百恵ですらサブスクに楽曲を提供してるし、サブスクファーストの世の中でサブスクに楽曲を提供してないって無いも同然といっても過言でもないですよ。多分チュパカブラよりもよっぽど宣伝効果がありますよ。○○が良いと言っても、しばしばコミカライズの限定版だけだったりして「関係者に優しくない手段」じゃないと聞けないとかありますし。

 不具合が出てきてもなかなか詳細を公表しないし、ライブの中止告知も一ヶ月半前にようやくするようで広報体制が不備があるように思います。ミリオン7thはリハーサルまで出来てようですけど、それ以後のイベントが全く準備もレッスンも出来ていないならもう数ヶ月先の公演なんて流行に関係なく出来ないでしょうし、本当に感染予防だけで夏のイベントを中止するなら冬のバンナムフェスなんてもっとできないんじゃないですかね?

 正直、ブシロード木谷会長が去年のインタビューで『バンドリをナンバーワン音楽コンテンツ』にしたいとか言ってたときには「何戯れ言を言ってるんだ?」と思ってたけど、いち早くイベントを中止し再会も一番乗りで、寄付金付きマスクを企画するフットワークの軽さを見たらあながち絵空事じゃない気がしてきました。もちろん抗体検査とか現状では全く意味の無いとても承服できない施策もあるのですが。

 それはさておき、シャニマス一周年当たりからPixiv当たりの絵の投稿数もデレ>シャニ>ミリって感じになってきましたけど、売上もネタにされるほど悲惨な売上だったのが徐々に伸ばしていまでは売上もデレ>シャニ>ミリという順番になりつつあるように見受けられます。デレのやってることなんていつか破綻すると斜に構えるプロデューサーもシャニマスのガチャ回したりしてますけど、可処分時間はともかく所得は伸びてないわけですからミリシタに投じてたのをシャニマスに回していると考えるべきでしょう。

 Vtuberとアイドル系コンテンツは競合し合うと思っていたのですが、このところのVtuberシャニマスブームはジャンルや切り口によっては相乗効果をだせる物なのだと考えを改めざるをないなと思いました。正直バンナムVtuberの事務所に金だして宣伝している物かと思ってたのですが、収益トラブルがあるあたりどうもそうじゃないようですし。

いずれにしてもスタマスに開発人員が取られてるとしても3周年は正念場の一年になるのではないでしょうか?

*1:まあ、アイマスよりもラブライブ!ラブライブ!よりもBanG Dream!の方が主砲として洗練されているのは当然だろう。