高橋洋一氏のNHK改革論と価値観を更新できない世論


高橋洋一氏のEテレ閉局案の話だけど、これに対してEテレを守れみたいなことを吹きあがる人がいるけど、どんどん子育て世代には配信が浸透してきて、そうして育った子供たちには決まった時間に放送されるテレビをみるという習慣が育たなくなっていってきているのである。

そのある種の象徴とすべき事態が昨年のドラえもんの夕方枠への引っ越しであろう。

animeanime.jp

藤津亮太氏は、ある一定年代以上の世代が持つ「TVアニメの檜舞台は19時台」という思い込みがあると指摘し、テレビ局の編成部にある「どのような時間にどのような番組を流すかを決める、視聴率をあげることでCM枠の価値を増し、会社の利益を最大化する」という価値観からは“戦力外通知”を受けたのだと指摘し、その価値観を「中央」とするなら「外周」にある深夜アニメや配信を開拓してきたと指摘する。

放送法は、インターネットはおろかビデオすらない昭和26年に制定された法律でもはやこうした今の動きには対応しきれていないのであるが、大多数の人たちは、インフラとコンテンツは一体であるという昭和26年の価値観しか持ち得ていないようである。

もちろん、放送局はこうした動きを察知し、生き残るためには何より配信と同じ土俵に立つしかないが、NHKが何かしようとしたら民放から民業圧迫の批判を受けるし、何より何をするにも国会マターになる特殊法人という組織形態が新しい動きの邪魔をしているのである。

民放にしてみたら一法人につき地上波は原則一つしかないのに、NHKは2つも与えられ、そのほかにBSやラジオなどを合わせたら9つの電波があるという時点で対等な条件ではないと考えてるので電波の整理を訴えるだろうし、逆にNHKからしたら「SNSで国民の強いNHKへの支持があった」として受信料義務化への口実としたいだろう。

一見すればいい加減な思い付きにしては希望の見えないパンドラの箱を開けるような話だが、それこそが彼の真意な気がする。
NHKの議論をしてて、このままでは持続可能性がないにもかかわらず根本的なグランドデザインの話を国はしてこなかったのである。

なんども言うが、もはや昭和の価値観や制度のままでは、放送の在り方は放送文化は持続不可能であろう。放送の強みは最大の同報性であるが、それすら価値観の多様化で怪しいことになってきているが、SNSを見てると8~90年代のようにジャンプが600万部、宇多田ヒカルのCDが700万枚売れるような時代から更新されていないような気がするが、どうにかして今の価値観に共感はしなくても理解してもらわないと本当に放送文化は終わると思うのだが…。