続・結局石原章弘P時代と今とではウマ娘は何が変わったのか?


前回のエントリーの続き。ウマ娘がどうしてあのような路線になったのかという考察をされる方がいらっしゃいますが、アニメやその1年前の2017年3月25日からサイコミで連載された。『STARTING GATE!―ウマ娘プリティーダービー』をみても、レースの話が根幹なので、少なくとも石原氏は純粋なアイドル物として作る意図は無かったのでは無いとは思います。

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ただし、SGにもいまやコンテンツのキモともなる史実ネタって基礎設定しかなぞってないので、史実ネタというのは余り重視していないような感じはあります。

前回も紹介した2017年の石原氏インタビューの「複数育成システム」もテイオーとルドルフ同時に育成したらどうシナリオ展開するの?という話になりますしね。

タイトルの発表時に馬名を公表して居なかったことについて

あめ姫さんはこれを根拠に2016年3月の発表当時から揉めていたんじゃないの?という憶測立てていますが、馬名を公表を焦らすことで興味を煽るティザー広告だったようにも思います。

ところで、石原さんがバンナムを退職したのは同年の1月なのに、それからたった二ヶ月で全部お出しできる物になっているとは思えないので、退職前にプロジェクトが動いていて、石原氏の前任者もいてそれを引き継いだの見るのが自然だと思います。それともバンナムには内緒でサイゲのプロジェクトに関わっていたんですかね?

最初のPVはかなりロークオリティなのはいいけど、馬券見たいの持ってるけど何なんですかね?うまぴょいがBGMだけあってダービーのくせに随分真剣味がないし、なんでスケート?とかたしかにこれは競馬を馬鹿にしてるという反発はあってもおかしくないでしょう。

というか、キングカメハメハの扱いとか2016年の段階でもヤバそうですが、これ最初から名前出していたら金の卵を産む鶏を殺すどころか有精卵の段階で潰さざるを得なかったのでは?

競走馬の権利について

競走馬にはパブシティ権がないというのはその通りなのですが、引退後に確実に牧場に戻すため、良血馬の高額化が進んでいてリスクを分散させるために、最近の良血馬は牧場との共有が一般的になっていると言われています。そもそも馬主名義は代表者しかないし、馬主も牧場も詳らかにされたくないようなので実態は解らず、あくまで噂レベルなのですが。

で、引退して種牡馬になると種牡馬の今度は種付権を株に分割してシンジケートの構成員がそれぞれ所有するという形態が一般化しています。ディープインパクトのシンジケートは総額51億円ともされ、それを特定の誰かが持つというのは余りにハイリスクなので8500万円を60口にわけて株を募集したわけです。

このように馬主を許可を貰えば良いという程単純な話ではなく利害関係者全部に仁義を切るなんて話になったらとても拗れるのでクラブ系の馬は出しづらいし、発表した時点でなにかがトラブっているとなっても不思議じゃないのですが。

というかサイゲだって顧問弁護士くらいいるはずだし、人様の持ち物(それも有形無形の利益を現在進行形で生み出す)の擬人化なんてけものフレンズとは比べものにならないくらい複雑なことくらい知らないでは済まないはずですが・・・。

結論

個人的に見立てでは石原氏は肉じゃが(アイドル路線)を推したかったけど、勝手にアニメのスタッフがカレー(アスリート路線)を作ってそれが受けたからそっちに切り替えたんじゃなく、石原氏もカレーにはしたかったけど、どんなカレーにするかで他のスタッフ達とウマ(ウマ娘なだけに)が合わなくなったのでプロジェクトから離れたものと考えています。

 

結局石原章弘P時代と今とではウマ娘は何が変わったのか?

ウマ娘という作品はアニメからアプリが出るまでの空白の3年間に何があったのかを巡って随分と憶測というか都市伝説が多い作品です。

例えばノーザンファームから出禁を食らっているとかいう話もありますが、セレクトセールから大手馬主に買われ、引退後は社台SSで種牡馬入りという(ノーザンファーム産の)競走馬のエリートコースを辿ったサトノダイヤモンドが登場している以上は少なくとも現在ではノーザンファームからの一定程度の協力は得られているのは間違いないでしょう。*1

で、次の多い都市伝説は「アイドルゲームだったのに、アニメの方向性がスポ根だったから作り直した」というものです。そもそもかつて陣頭指揮を執っていた石原章弘氏はアイドルマスターの産みの親とも言うべき存在で東宝の伊藤隼之介プロデューサーが競馬ファンであり、石原氏もアニメ終了後の対談記事で「もし伊藤さんがいなかったらアニメは成立しなかった」とまで絶賛するほどだったので確かにその憶測はスジが通っているように見えます。

しかし、この説も根拠が薄い。実はアニメのシリーズ構成って脚本家の杉浦理史氏とともに、石原氏がクレジットされているわけで、方針転換をするにしてもアニメの企画が経った時点で変わっていないといけないはずです。少なくともアニメの評判をみて変えたというわけじゃ無いのでしょう。

じゃあ何が変わったのか?

アニメの放映1年前にされた石原氏のインタビューでは

世界観は基本“熱い”

とも言っており、競走馬を擬人化した美少女をレースで競わせ、勝てばライブというコンテンツの根幹とも言うべき方向性は一切変わってないように思います。

じゃあ、何が変わったのかと言えば、まずUIやグラフィックは向上していますが、石原氏の2017年のインタビューで気になる2点があるのです。

(複数育成が可能になるのかという問いに対して)その予定です。競馬ゲーム的なイメージだと“自分の牧場”と考えてもらえるとわかりやすいかもしれません。

結局育成できませんでした(笑)

リリースされたゲームは育成期間中はマンツーマンでクリアしたら次の子というアイマスのシステムを踏襲したシステムなのですが、インタビューの記事を見ると競馬ゲームのようにプレイ期間中に並行して何人も育てることが前提と考えていたのかな。だとすると、アニメやメインシナリオなどで出てくるチーム○○(星座名)って、複数同時育成システムの名残りなのでしょう。

もちろん、血統を考え強い馬を作り出すという馬主さんのロマンも、競馬のおもしろさのひとつだと思っていますが、僕は勝負の世界が生み出す“予想できない未来”を楽しむことがおもしろさだと考えているんです。

 「配合はどうするんだ?」という問いはリリース前に散々言われてたことなのですが、女の子同士の上に、ヒトに置き換えるけど非常に生々しいけど、競馬ゲームのやりこみ要素なのでオミットも難しいと思うのですが、石原氏は果敢にもオミットしても良いと考えていたのかもしれません。

アニメの一期と二期を見て皆さん何か気が付きませんか?

さらなる違いはアニメにも見いだせます。一期の頃ってレースで限界に達したら「ムリー」っていうけど、二期は1話以外そんな描写無いし、ゲームでは一言も発していません。*2食べ過ぎでぼて腹とかギャグっぽい描写もなく、シリアス色が強い。これは漫画シンデレラグレイも踏襲していますし、もしかしたらもっとおちゃらけた作風だったのかなと思うのです。

思えば765は他マスと比べても石原氏退任後だけどチュパカブラとか、坂上氏の発案だけどスモック着せたり、メカ千早だの、悪く言えば内輪ノリが多い感じでそうした作風は石原氏の影響なのかも知れないなと思います。

まとめ

 ただ、石原氏は毀誉褒貶が激しい人物でして、ヒットコンテンツの骨組みを作ったことは間違いなく功績だし、ポチポチゲーwなんて言われてた頃にあえてモバマスソーシャルゲームに参入した先見の明などは間違いなく功績ではあります。

 一方でウマ娘総合P退任挨拶の「この馬・・・いえ、この場をお借りして」なんてのがおそらく面白いと思って書いてるあたりギャグのセンスがないのに下手の横好きをしてしまう人で、石原カラーが思いっきり出たウマ娘ならここまでヒットしていたのかな?と言うと割と疑問符がつくところです。

 他方で、僕は石原氏が降板後にアイマスを本格的に関わりだしたのですが、そうした目から見たら石原時代の方がアイマスというコンテンツは良くも悪くも新展開に積極的でお金を掛けてきたような気がします。*3アーケードの頃からプロデューサーだった人には違う目で見えるのかも知れません。

 かといって15年前10年前に受けていた事を令和の時代にやって受けるとは限らないわけで、ウマ娘だって「石原さんが居ない方がヒットしたんじゃない?」と言われる位だし、じゃあ、今さら戻ってアイマスの陣頭指揮を執ったら良くなるのかと言えばそうとも思えないのもまた事実なのですが。

*1:複数の利害関係者が絡むクラブや共有、あるいは非協力的な個人馬主は知らない

*2:育成以外のシナリオで言ってる箇所があるならごめんなさい

*3:シャニマスなんて今年4年目なのにまだ新作扱いですよ。他なら根本的なテコ入れが必要とか言われるような時期に

ウマ娘という作品はアニメからアプリが出るまでの空白の3年間に何があったのかを巡って随分と憶測というか都市伝説が多い作品です。

例えばノーザンファームから出禁を食らっているとかいう話もありますが、セレクトセールから大手馬主に買われ、引退後は社台SSで種牡馬入りという(ノーザンファーム産の)競走馬のエリートコースを辿ったサトノダイヤモンドが登場している以上は少なくとも現在ではノーザンファームからの一定程度の協力は得られているのは間違いないでしょう。*1

で、次の多い都市伝説は「アイドルゲームだったのに、アニメの方向性がスポ根だったから作り直した」というものです。そもそもかつて陣頭指揮を執っていた石原章弘氏はアイドルマスターの産みの親とも言うべき存在で東宝の伊藤隼之介プロデューサーが競馬ファンであり、石原氏もアニメ終了後の対談記事で「もし伊藤さんがいなかったらアニメは成立しなかった」とまで絶賛するほどだったので確かにその憶測はスジが通っているように見えます。

しかし、この説も根拠が薄い。実はアニメのシリーズ構成って脚本家の杉浦理史氏とともに、石原氏がクレジットされているわけで、方針転換をするにしてもアニメの企画が経った時点で変わっていないといけないはずです。少なくともアニメの評判をみて変えたというわけじゃ無いのでしょう。

じゃあ何が変わったのか?

アニメの放映1年前にされた石原氏のインタビューでは

世界観は基本“熱い”

とも言っており、競走馬を擬人化した美少女をレースで競わせ、勝てばライブというコンテンツの根幹とも言うべき方向性は一切変わってないように思います。

じゃあ、何が変わったのかと言えば、まずUIやグラフィックは向上していますが、石原氏の2017年のインタビューで気になる2点があるのです。

(複数育成が可能になるのかという問いに対して)その予定です。競馬ゲーム的なイメージだと“自分の牧場”と考えてもらえるとわかりやすいかもしれません。

結局育成できませんでした(笑)

リリースされたゲームは育成期間中はマンツーマンでクリアしたら次の子というアイマスのシステムを踏襲したシステムなのですが、インタビューの記事を見ると競馬ゲームのようにプレイ期間中に並行して何人も育てることが前提と考えていたのかな。だとすると、アニメやメインシナリオなどで出てくるチーム○○(星座名)って、複数同時育成システムの名残りなのでしょう。

もちろん、血統を考え強い馬を作り出すという馬主さんのロマンも、競馬のおもしろさのひとつだと思っていますが、僕は勝負の世界が生み出す“予想できない未来”を楽しむことがおもしろさだと考えているんです。

 「配合はどうするんだ?」という問いはリリース前に散々言われてたことなのですが、女の子同士の上に、ヒトに置き換えるけど非常に生々しいけど、競馬ゲームのやりこみ要素なのでオミットも難しいと思うのですが、石原氏は果敢にもオミットしても良いと考えていたのかもしれません。

アニメの一期と二期を見て皆さん何か気が付きませんか?

さらなる違いはアニメにも見いだせます。一期の頃ってレースで限界に達したら「ムリー」っていうけど、二期は1話以外そんな描写無いし、ゲームでは一言も発していません。*2食べ過ぎでぼて腹とかギャグっぽい描写もなく、シリアス色が強い。これは漫画シンデレラグレイも踏襲していますし、もしかしたらもっとおちゃらけた作風だったのかなと思うのです。

思えば765は他マスと比べても石原氏退任後だけどチュパカブラとか、坂上氏の発案だけどスモック着せたり、メカ千早だの、悪く言えば内輪ノリが多い感じでそうした作風は石原氏の影響なのかも知れないなと思います。

 

*1:複数の利害関係者が絡むクラブや共有、あるいは非協力的な個人馬主は知らない

*2:育成以外のシナリオで言ってる箇所があるならごめんなさい

書評「最後の社主」

 

 

読んだ。朝日新聞の村山美智子社主の浮世離れぶりした生活と、最晩年の朝日からの邪険な対応が諸行無常感がある。

おそらく著者が書きたいのは後半の著者が現場で体験したであろう「邪険な対応」の方でであろう。「実に鮮やかな手段」で美智子氏の株を、公益財団法人香雪美術館に譲り渡すように仕向けたのだ。美智子氏から長年信頼を受けたお世話係を首にしたり、直前まで上手く行きそうになった養子話を朝日の工作でフイにしたりと、まるで、早く死ぬか意思疎通が出来なくして「死人に口なし」で事を進め、村山家を一日でも早く朝日の影響下から切り離そうとしているかのような印象を受けた。

美智子氏の株の受け皿となった香雪美術館の理事はほぼほぼ朝日関係者によってしめられており、資本と経営(あるいは編集)が分離した状態から一致した状態に退化しているとすら言える。*1

このほかにも美智子氏の離婚歴を隠していないにもからわらず、朝日が経歴を必死で隠そう*2としたり、本署にも出ていた恭平氏がアゴラで告発していたが、A元社長(おそらく秋山耿太郎氏)が、まだ心肺停止にもなっていないのに白々しく「社主、残念です」と発言したり、東北新社の問題を「成人したとしても息子の不祥事は親が責任を取るのが当たり前だ」と言わんばかりの論調なのに、大麻取締法違反で息子が逮捕されたことへの責任を何一つ取らないで、社長どころか、日本新聞協会会長や日本対がん協会の理事長*3を歴任するなど、「随分やっている事と、言っていることが違うんですね」と言いたくなる。

結果、この「創業家追い出し作戦」は社主制度の廃止という形で結実し、朝日の完全勝利という形で終わったと言って良い。しかし、その「悲願」が達成された年に襲ったコロナ禍で不動産事業も立ちゆかなくなり創業以来最大の赤字となるのはなんとも皮肉であるが、創業家や美智子氏を邪険に扱った天罰なように見えてならない。朝日ウォッチャーであれば必読の書。

*1:マスコミの役割は権力の監視というが経営と資本が一致した状態で朝日という権力は誰が監視するのだろうか?

*2:知られてほしくない情報を報道するのがジャーナリズムじゃないんですか?

*3:朝日新聞社の創立80周年記念事業として始まったのでおそらく朝日関係者が理事長として天下りする

ウマ娘が好調すぎてアイマスの将来が不安になるの巻

ウマ娘がリリースされましたね。正直、アニメの熱さがゲームに出せるのか、半分期待半分不安だったのですが、予想以上にハイクオリティぶりに度肝を抜かれたのと同時に、アイマスのPがかなりウマ娘をプレイしていることに気が付きました。

初物が出たら一時的に浮気をするのは当たり前なのでこれが数ヶ月後どうなってるのかがわかりませんけど、アイマスのライバルがまた一つ現れたのかもしれません。

アイマスのライバルと言えば、ラブライブ!最新作のスーパースター!!はEテレで放映するという話も聞いています。

コロナ禍で思うように対応できないのはどのコンテンツも一緒なのですから、そこからどう立て直すかがカギとなるのでしょうが、アイマスの運営はどうもフットワークの重さが目立ちだしているように思います。

というか、ここ数年徐々に「如何に予算を掛けずに、いかに取り込んだ信者から金を搾り取るか」という事ばかりに注力するようになっていってる気がします。

ミリオンのスロットなのに・・・。

昨秋頃ミリオンライブのパチンコと、パチスロ化が発表になりました。バンナムがパチンコ制作に手を出したわけですし、幾ら不本意であっても全力を尽くすのがプロというものです。

「以前765ASがスロット化されたときには新曲もあったのだし、まあ当然新曲はあるだろうし、演出もアニメの映像か」と思っていました。ところが、新曲は無し、ミリシタモデルの流用という結果で、「版権に対する愛をまったく感じない」とすら酷評されています。

次に発表されたミリオンのスロットもなぜかミリオンなのに、Mやシャニマス、デレの楽曲が入るという意味不明ぶりです。もしアイマス全体で版権をまとめて売ったというのであれば今後他の4ブランドのパチスロが出る可能性はありますが、まとめ売りは一般論としては個々のコンテンツを切り売りするよりも(纏ったお金が入るとはいえ)割安になるはずでそんなにお金に困っているんですかね?

いや、これがMなら理解出来るんですよ。エムステが終わって新たなゲームを作らないと未来はないのはわかりきっていますから。入ってきているはずのお金がコンテンツに使われている感覚が、今のところ無いのですが何処に消えてるのですかね?

いつになったら出来るのか解らないアニメ

 例えばシンデレラガールズのアニメ化は、Mobageで発表(2011年11月28日)してから、アニメ化の最速放映(2015年1月10日)まで3年43日。アニメ化発表は2014年4月5日に行われたライブイベントでの発表なので、ほぼ同時か遅くても次の年までにはアニメ化のプロジェクトが動いていないるはずです。

 デレのアニメ化公式発表からアニメ放送までは9ヶ月と5日なので、ミリオンは今年の春クールくらいにアニメ化してもおかしくないはずなのですが、一向に話がありません。どうしたのでしょう。

 そもそもアニメなんて極端な話、バンナムが予算を付けさえすれば、いくらでもアニメに出来るのに今までされていないというのは「PVを作ってお茶を濁せば十分」で、「本格的なテレビアニメに投資する意欲がなかった」のではないでしょうか?そのようなモチベーションでアニメにしたところで、最初のけもフレのアニメのように10社くらいワラワラと製作委員会に入りだすような気がしなくもありません。

ちなみに、シャニマスには3年目ですがアニメのアの字も無い状態です。ラブライブ!はニジガクの終了からわずか半年後にスーパースターをOAするのにも関わらずです。ミリオンをアニメ化したら5年くらいしたらにようやくシャニマスの番なのでしょうか。

新規はどこから取ってくるの?

15周年の越境施策の強化やポップリンクスなどは「アイマスのファンの他コンテンツへの送客」を狙っているのは明白です。たった13人ですら運営はちゃんと設定把握できているのか疑問なのに、その上に更に心白を含め303人のアイドルを抱えているような有様*1で越境施策をしても「これじゃない」と言われてしまうのはある意味仕方の無い事ではあるのですが、下手したらPの方が設定を把握しているんじゃないかと思ってしまうこともあるのです。

仮に送客に成功したとしてもじゃあ、新規はどこから取ってくるのでしょう。思えばこの15年人気に火がついたのは、デレやアニメのように外部の会社やクリエーターが何か素晴らしい、あるいは革新的なコンテンツ*2を作るか、ファンアートやニコニコのMADのようなファン(プロデューサー)の布教活動で広めるかのいずれかでした。

運営にはおそらく自分から新規を確保するのはどうしたらいいのかが解っていないのでしょう。だから、CMで「○○連ガチャ無料」を連呼したり、「樹里は元ヤン」とか訳のわからん広告を出してしまうのでしょう。

シャニマスだって今年三年目です。バンドリのガルパで言えば、MorfonicaとRASが追加したり、ラブライブスクフェスでいえばAqoursが追加されたくらいと同じ時間がたっているわけで、そろそろ勤続疲労が起こってもおかしくないはずです。

 enzaという特殊なプラットフォームを使っている以上フル3DCGのゲームは無理にしろ、それこそバンドリやD4DJのようにCGのMVとか、キャストMVとか、あるいはリリックビデオは可能ですよね?でもそれをしないってのは「予算が無い」とか、「スケジュールが合わない」とかそういう後ろ向きな理由しか思い浮かびません。

 やりたくても出来ないこともあるのは理解できますけど、それでもウマ娘シャニマスを立て続けにプレイしてみるといくら絵がハイクオリティだ、シナリオが素晴らしいと言っても「シャニマスって明らかに予算がかかってないな」という感じが拭いきれません。バンナムの基幹コンテンツの新作なのに。

 そもそもenzaだってローンチタイトルはシャニマス以外10年前のMobageクオリティだし、ホームページもあきらかにやる気なさそうで、現在ゲームは3つしか稼働していない有様です。どうもenzaにもシャニマスにも余り予算かかっていないんですよね。

 そのくせ1年経ったらYOSHIKI起用し出すし。ローンチが一番大事って素人でも常識になってることが理解出来ないのでしょうか?

別に山手線をアイマスで広告で占領しろとかゴールデンタイムに番組枠を買い取れとは言いませんが、突然思い出したように芸能人起用したと思えば「○○連ガチャ無料」とか広告し出すとか、広報戦略は一体どうなってるんですかね?

どうも個人的な推察ではアイマスの予算の使い方ってアイマス広報予算って5ブランド一括になってローテーションでどこに割り当てるのか決めていたり、決裁出来る金額が決まっているのはまだ良いとして、それを越えたら坂上Pの決裁を仰いで、下手したら更に上の役員会議に掛けて・・・というフットワークのフの字も無いような事をやっているような気がします。

このままなら、特定のアイドルに思い入れのないプロデューサーほど、どんどんウマ娘なりラブライブ!スーパースターなりD4DJなりに移住していって、悪い意味で濃くて狭いコミュニティとなりそのうち自滅していく未来しか想像できません。

そりゃすぐには潰れないでしょうが、今よりも「コンテンツが盛り上がっているな」という感覚を抱きながら2025年の20周年を迎えられる未来が私には想像できません。今の運営はハッキリ言って何か根本的にはき違えてるようにしか思えません。そこに1日も早く気付けないのでは、アイマスの未来は暗いでしょう。

*1:アニマス以前なんて新施策や新ゲームが出る度に毎年のように設定がコロコロ変わっていて、もうその頃からのファンは今さら設定変更しても「またか」で済むでしょうが

*2:モバマスが出てきた2011年末なんてソシャゲなんて間違ってもオタクがやるような代物じゃなかったのに、果敢にそれを取りに行ったというのはものすごいパイオニアだったんです

COCOA問題についての一考

COCOAAndroidで通知されなかった問題。少なくとも問題の根本は厚労省が著しくITへの知識を欠きオープンソースへの理解が不理解であったことに尽きると思われます。

ライブイベントなどではCOCOAのインストールが奨励されるケースも多いのですが、それらは信頼によって成り立っていたはずで、例えバグを修正したとしても私ですらイベント責任者ならCOCOAよりも野口五郎氏が開発したTake Our Live *1を推奨するのかも知れません。

おそらくNTTデータ富士通と言った大手SIerよりも、オープンソースとして開発して、遅巧より拙速が求められ、バグやバックドアの監視するために、多くの目でソースコードをレビューすることにより信頼性を確保する方針はこれほどにもなく正しい方針であったと私は断言します。

しかし、厚労省に引き渡した時点で不具合の問合せは厚労省のメールで送るように促されるなど、オープンソースコミュニティベースではなく厚労省が発注した開発会社が管理する形態となり、COCOAGitHubサイトは実質的に「ソースコード置き場」となっており、オープンソースのメリットを完全にスポイルしてしまった形となってしまっていますが、どうも躓きはリリース直後から合ったように思えます。

消された幻のアプリ

このコロナアプリに類似するアプリとして同時期にふたつのアプリがありました。

  • Covid-19 Radar JAPANの「Covid-19 Radar」
  • Code for Japan(一般社団法人コード・フォー・ジャパン・以下CfJ)の「まもりあいJAPAN」

の二つが開発され、前者がCOCOAの前身となりました。で、問題はなんでCovid-19 Radarを採用したのか全く経緯が明らかにされていないことです。

AGF(Apple/Googleによるコロナ追跡API)は保健当局からリリースされる1国1アプリという制限があったことから、どちらかを採用。逆に言えばどちらかを不採用にしないといけないわけですが、当然落とされた方が面白くないのでそこに明白な説明が必要なのです。

まさかだと思うのですが、開発リーダーの廣瀬一海氏はMSの社員だったのでMSが作ると勘違いされて採用されたのでしょうか?

誰が開発したかはソフトの質を担保しないのは7Payで明らかなのですが。

それはともかくとして、CfJは広報に長けていたことから、コロナ対策=CfJみたいな図式が出来あがり、採用が有力視されていたわけですから、
下馬評をひっくり返したとなれば「何か癒着がある」と邪推されかねません。

というか、リリース直後廣瀬氏が自身のTwitterアカウントで、「この件でコミュニティーはメンタル共に破綻した」と表明するほどの激しいバッシングが起こったわけですが、その背景には、説明無くCfJを落とした事に対し、政府との癒着が邪推されたこともあるように思います。

 厚労省に引き渡された後はクロースといってもソースコードは公表されるわけですから、ちゃんとどこの部分が問題なのかをレビューすべきなのですが、そういう解説はほとんど見られない印象論だったわけで、こういうバッシングから泥を被ってでも厚労省は開発者を守るべきだったのでしょうが、全くしていませんでした。

一説にはCfJの方が優れている(繰り返しになりますが何処が優れているのか双方のソースコードを引用した技術論を見ていません)とされていましたが、この分ではおそらくCfJを採用していたとしても、どこかで重大な問題を踏み抜いていたように思います。

仏作って魂入れずのIT戦略

かつて、国のITシステムは電電公社のデータ通信本部(今のNTTデータ)が提供するデータ通信サービス(デ通サ)というサービスが独占していたことがありました。

これは何かというとNTTがオーダーメイドでサービスを開発して、ユーザーは数年契約でサービス料を払うことで開発費を回収するというもので元祖クラウドのようなサービスです。一定額なのでお役所には使いやすい一見すれば良いことづくめなのですが、

  1. 作ったシステムの著作権NTTデータ持ちでベンダーロックインが起こる
  2. 価格設定が不透明である
  3. NTTデータはキャパシティを切り詰めるインセンティブがないのでオーバースペックなサービスとなり更に割高になりやすい

と言った弊害が指摘されるようになり、役所でもデ通サの新規開発はなくなりました。

しかし、デ通サをやめたからと言ってたちまち官庁のITリテラシーは上がるはずもなく、むしろ百戦錬磨のITベンダーと対等に話し合えるリテラシーが必要なはずなのに、それへの対策はおざなりで、ただデ通サをやめただけという結果になりました。

その結果が低クオリティな役所のITシステムの量産に帰結したのですが、どうもITに関しては「全てお任せは高い」「商品知識がないとカモにされる」という世の中の絶対原則が忘れられているように思います。

はっきりいって、やや極端な話をすればITリテラシーを向上するつもりがないなら「割高な分はお任せのコスト」と割り切ってNTTに丸投げしてデ通サの新規開発でもして貰った方がマシだと個人的には思います。

コンピュータの解らない組織も国もに21世紀はないはずで、ITリテラシーを向上するのか、もう一度NTTデータに頭を下げるのかしないとこの国は持たないと思いますよ。本当に。

*1:これの方が優れているみたいな意見も散見されるけどもともとあったチケットに印刷されたQRコードを読み取って登録するとアーティストからライブ終了後にメッセージが受け取れるというファンサービス用のアプリに通知システムを負荷したもので仕組みとしては都道府県が運営するコロナ通知メールシステムと変わらない

なぜ自治体や中小企業のデジタル化が進まないのか?

 最近デジタル庁だのDXだの言われているが、それでもなぜ自治体のあるいは中小企業のデジタル化が進まないのかと言えば、個人的には、一因は「スケールメリットが追求できない」ということがあるように思える。

 スケールメリットとは何なのか言い換えれば処理しなければならない情報が指数関数的に増えているかと言うことである。

 例えば、銀行にコンピューターが導入される前はありとあらゆる手順が手作業で預金者は支店にある台帳ベースで作業をしていた。当然金利の計算は仕事の徹夜もザラだったで、預金の出し入れは開設店でしかできず、銀行の預金量は経済成長に合わせてうなぎ登りでもはや人海戦術でやっていられなくなってきた。

 こうして1960年代後半から銀行に導入されたコンピュータシステムは手作業の業務を再現し、それをコンピューター上で行うことに成功した。開設店でしかできなかった預金の引き出しも全国で出来るようになった。

 さらに特筆すべきことは、公共料金の一括引き落としや給与振り込みサービスである。依頼先の企業が磁気テープをセンターに持ち込んで、処理結果を戻すことで引き落としの正否が正確かつ迅速にわかるこのシステムは集金係を徐々に不要にし、「銀行は未だにこれに匹敵するような効率化を実現できていない」とすら言われるような画期的なシステムとなったのである。

 こうして高度成長期という時代背景もあいまって、例えば三菱銀行では1970年からのわずか5年で預金量が倍増し、振り込みをオンラインで処理する全銀システムの稼働などもあり、銀行のシステムで処理されるデータは指数関数的に増え、システムは限界に達して、第二次オンラインシステムの開発が開始される運びとなった。客が増えれば増えるほど、サービスが増えれば増えるほど処理する情報は増える。

 同じように1960年代末から70年代にかかけていち早くコンピュータを導入した業界に国鉄や新聞社が上げられるが、国鉄のオンライン予約システムMARSは、これまでの人海戦術と職人技に任せていた予約管理では増える列車や輸送量に耐えられなくなってきたし、新聞社もこのころCTPと呼ばれるメインフレームを使ったDTPを開発し出すが動機はいずれも人手不足と需要の増加だった。

 CTP導入前の印刷工程は、活版印刷の発明から500年間変わらない重い鉛板を使った印刷工程を軽くて扱いやすいオフセット印刷と記事データのオンライン電送に置換することで、少人数での印刷を可能にし、かつ増え続ける部数への対応や、遠方の読者への締切りを遅くすることの出来る分散印刷を可能にし、何より情報を蓄積して再利用することで新聞社を情報バンクとして活用するという当時としては斬新な構想の下で開発が進められた。

 しかし、そのプロジェクトはIBMをして「アポロ計画より困難」と言わしめるほどだったし当時の朝日の記者の論文では「新聞の本質は情報で紙である必要が無い」*1と断言しており、今の新聞社よりもよっぽど先見の明があったと言わざるを得ない。

 また、ジム・オライリーはかつて成功したインターネット企業として「まず、ユーザーが中心となって巨大データベースを作り、多くの人が使えば使うほどそのデータベースは良くなっていってるってこと」をあげていたが*2、これまでに上げたオールドエコノミーとは異なるが、ユーザーに使って貰うことで社員だけでは到底集められないような巨大なデータベースを構築し、更にサービスを良くして、さらに人を集めるという循環で成長した企業はIT業界には珍しくない。

 個人的な経験として、今は無きPicasaを使ってTwitterでイラストを集めていたら、5~600件を超えた辺りから管理しきれないし、そもそも使い勝手が今一自分の要求に合わないのでAccessを買ってデータベースを自作して、そのうち画像集めも自作して・・・とやっていったらいつの間にか10万件を超える画像を扱っていて、1週間でかつて自分が扱えないと思った数の新規の画像が蓄積されてるデータベースになってしまった。

 このような成功事例と現在を比べてみると、確かに今は人手不足だけど、情報の処理量が指数関数的に増えてるのかと言われたらそんなこともない。下手したら今後どんどん下がりかねない。中小企業なんて本来なら紙で十分管理できてITなんて実態としては清書機と言うところも多かったりする。

 そういう情勢で「何故IT化するのか」という意義を見据えないと「効率化の手段」に過ぎないITがそれを導入することが目的になってしまう。神Excelなんてやってるところは、本来であれば申込書を手書きさせて郵送なりファクスでも十分回るような仕事量しかないのである。

 自衛隊派遣の三要素は公共性・緊急性・非代替性というが、IT化もそれが当てはまるのではないだろうか。たとえば、回転寿司業界は食品ロスは「もったいない」という宗教的あるいは道徳的な意味だけではなく業績に直結するし、客の回転率もまた業績に直結するので、古くからIT化に取り組んでおり先進事例としてしばしば取り上げられることも珍しくないが、「食品ロスを減らさないと儲からない」という公共性と緊急性があり、それにはIT化しかないという非代替性があったからこそなのではないだろうか?