そもそも何故小林賢太郎氏が開会式を担当することになったのか
タイトルの通りですが、なぜ開会式が混乱するようになったのか時系列でまとめてみましょう。
開会式のクリエーターの話が出たのはリオの1年後の2017年12月。
東京都内で理事会を開き、両大会開閉会式のプランを作成する「4式典総合プランニングチーム」の設置を決めた。映画「君の名は。」をプロデュースした川村元気氏(38)や狂言師の野村萬斎(51)らメンバーは8人。基本プランを来年夏までにまとめ、これを受けて各式典監督の選定が行われる。
4式典を「起・承・転・結」で構成。この日、理事会で承認された全体のコンセプトは「平和」「共生」「復興」「未来」「日本・東京」「アスリート」「参画」「ワクワク感・ドキドキ感」。これをもとに4部作が構成される。
「基本プランを来年夏までにまとめ、これを受けて各式典監督の選定が行われる」とあるのですから、普通に考えたらコンペをやるはずなのですが、その翌年7月にはこういう発表がありました。
8人は2017年12月から式典コンセプト検討メンバー。大会組織委員会は8人の検討内容を評価し、横滑りで演出を担うことになった。総監督は置かずにチーム制で検討する。組織委の御手洗冨士夫名誉会長は記者会見で「具体的な演出の検討にそれぞれが秀でた力を持った人ばかり」と期待を込めた。
4つの式典を総合統括するのは狂言師の野村萬斎さん。人間国宝の祖父・故六世野村万蔵と父・万作に師事。映画「陰陽師」で主演を果たし、NHK・Eテレの子供向け番組「にほんごであそぼ」にレギュラー出演するなど、伝統芸能の枠にとどまらない多方面で才能を発揮してきた。
音楽家の椎名林檎さんや人気女性グループ「Perfume」の振り付けを担当するMIKIKOさんらは、2016年リオデジャネイロ五輪の閉会式でも企画演出を担当。「五輪旗」が引き継がれる場面で、「マリオ」にふんした安倍晋三首相を登場させ、コンピューターグラフィックス(CG)を駆使したショーで世界の人々の心をつかんだ。
翌年の7月にオリパラの式典はチーム制で置くということが決まりました。メンバーは、総合統括野村萬斎氏・五輪統括山崎貴氏・パラリンピック統括佐々木宏氏、総合チームとして川村元気氏・栗栖良依氏・椎名林檎氏・菅野薫氏・MIKIKO氏でした。そのうち好評を博した2016年のフラッグハンドオーバーセレモニー*1を担当したのは佐々木宏・MIKIKO・椎名林檎・菅野薫の各氏。
で、問題は総監督を置かないという点です。普通の会議でも纏らないのに、トップクリエーターというのは個性も自己主張が強いのに、何故かリーダー役を置かなかった。
実際、後にチームが解散するときに「チーム内の意思疎通が取れなかった」とか、「とっぴょうしもないアイディアばかり出して森喜朗氏から批判された」などといった話が漏れ聞こえてきますし、リーダーを置かないのは大きな失敗でした。
まあ、その当時の世間の空気なんて「日本の有名人なら日本でしか受けないガラパゴスなんだから呼べば国辱」「国内では無名でも世界で知名度がある人を呼べ」みたいな感じだったので、みな遠慮していたのでしょうが、思えばこれが躓きの始めだったのでしょう。
東京2020組織委員会は、東京2020パラリンピック競技大会の開会式・閉会式の演出家を発表。2020年1月10日(金)まで、東京2020パラリンピック競技大会の開会式・閉会式に出演するパラエンターテイナーの募集を開始した。
「ライバルは「オリンピック」開閉会式。パラリンピックをなんとしても盛り上げたい」というパラリンピック担当エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター 佐々木宏氏。「パラリンピック開閉会式」の最終ステージ演出を、開会式では現代演劇界を代表する鬼才ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏と、閉会式では劇作家・演出家・パフォーマーとして知られる小林賢太郎氏とタッグを組んで臨むことになった。
この記者会見に登場して二人を紹介したのが佐々木宏氏です。まあ、パラリンピックのクリエーターなので解るのですが、おそらくこの時点でオリパラの4式典を「起・承・転・結」でまとめるというコンセプトも消えたのでしょう。
そして、雲行きが怪しくなるのはコロナ禍です。
東京2020組織委員会が、2018年に選出した東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式の演出企画チームを解散すると発表した。
2018年に発表した演出企画チームは、チーフエグゼクティブクリエイティブディレクターを狂言師の野村萬斎が担当。歌手の椎名林檎や振付師のMIKIKO、映画プロデューサーで小説家の川村元気、クリエイティブプロデューサーの栗栖良依、クリエイティブディレクターの佐々木宏と菅野薫、映画監督の山崎貴ら計8人のメンバーで構成される。
東京2020組織委員会の発表によると、コロナ禍による社会状況の変化や簡素化などの観点から再構築を進めており、迅速かつ効率的に準備を進めるためチームを解散するという。新たに佐々木氏を4式典の総合企画・エグゼクティブクリエイティブディレクターに起用し、全ての演出の見直しを図る。
本来はパラリンピックの佐々木氏が陣頭指揮を執ることになりました。
更に雲行きが怪しくなったのは2021年3月
3月25日に聖火リレーのスタートを控える東京五輪。その開会式の責任者が、出演予定者の渡辺直美をブタとして演じさせるプランを提案し、関係者から批判を受けて撤回に追い込まれていたことが、「週刊文春」の取材でわかった。一連のやり取りを示すLINEを入手した。
このことが世論の猛批判を浴びて佐々木氏は辞職しますが、ブタとして演じさせる演出をごり押しして止められないというのなら解るのですが、撤回した話を蒸し返されるというのはまるで後の小林氏の解任劇を彷彿とさせますし、身内のLINEからというのはかなりの側近からリークしたわけで、相当にのっぴきならない事情があったと推測されます。
文春はこの話題で続報を続け、4月8日号にはMIKIKO氏の開会式プランを文春がリークします。2020年4月に提出されたものでIOCの評価も高かったとされています。
で、おかしいのはこの情報の入手先です。普通なら秘密保持契約を結ぶはずで、5chに匿名でリークするというならまだしも、マスコミが全てのページを入手すると言うことはあってはなりません。入手先は書いていませんが、文春の記事はMIKIKO氏視点で書かれたものも多く、MIKIKO氏本人かその側近という可能性が強いのです。
となれば、MIKIKO氏は信頼を失うはずなのですが、リーク者はそれをあえてやったのです。もはやそうしても誰も咎めないほど五輪はヤバいという認識がクリエイティブの現場では定説になっていたのかも知れません。
噂ではMIKIKO氏のアイディアを佐々木氏が丸パクリして功績を横取りしたいのだという話があります。真偽は知りませんが、もしそうなら済んだ話をMIKIKO氏サイドがリークするというのは大きく納得がいきます。そうなら、NDAを結んだとしても落ち度があるので訴えられなかったのかも知れません。
そして、開催1週間前にやっとこさクリエーターが発表になりますが、このメンバーの人選はどういう経緯なのかというと、
残ったメンバーが仲間を誘って20人ほどのチームができた。関係者によると、今回解任された小林賢太郎氏が中心になって人選を進め、その中に小山田*2氏が入っていたという。組織委は結成後に報告を受け、そのまま任命したという。
お友達人選というのはこうなった以上は、大きく批判されるでしょうが、3ヶ月で1から作らないといけないというならやむを得ない選択でしょう。そもそも国家的なイベントを3ヶ月でどうにかすること自体がおかしいのですが。
こう、時系列をまとめてみると「クリエーターを尊重するというカルチャー」が組織委員会に本当に存在したのか?と疑いたくなります。開会式をメチャクチャにしたいとかクリエーターに傷を付けたいと怨念を持っている人が関わっているとすら思いたくなりますし、あまり褒められたものではない、日本のクリエイティブの現場の標準ラインのガバナンスすら達成していないのではないかと言わざるを得ません。
言ってしまえば火中の栗を拾った小林氏や小山田氏を五輪に関わらせてしまったばかりにそのキャリアを終わらせかねない致命傷を負わせたのは大いに問題ですし、離脱した椎名林檎氏なども「ヤバいから逃げ出した」と言っても誰も攻めらられるものではありません。
もっとも小山田氏の場合はそれ以前の話で全く擁護できないのですが、いずれにしてもクリエイティブを全く知らない素人が出しゃばっているような印象を受けます。
広告代理店は日本の影の支配者みたいに言われていますが、大抵はクライアントを受けて仕事をするいわば下請けの立場なので、上がクリエイティブを尊重しないでコロコロ言うこと変えるなら、代理店もそうせざるをえません。こうなった原因は特定の個人の黒幕が居るというよりも、世論を含めステークホルダーが余りに多すぎて、口出しをする人間が余りに大勢居て船が山に登ってしまったのでしょう。
結果論ではありますが、初期の段階から4式典の開会式の絵コンテを提出させた上でコンペをやって、当選者に全ての責任と権限を集中させるべきだったと思いますが、日本映画は予算の都合上コンテなんて描かないので名のある映画監督でもコンテを切れない人も居るのかも知れないのでそうした手法は取れなかったのかも知れません。
せめて、組織委員会に心があればこの後のパラリンピックの式典は関わった人物を全て匿名にすべきで、終わった後も数年間公表すべきではないと思います。それがパラリンピックとクリエーターを守る最善手だと強く思います。
オーダーメイド化する社会
この記述は終身雇用が前提なのだと思うのですが、日経ビジネスが80年代に会社の平均寿命は30年みたいな説を提唱していて、その当時ですら多くの人にとって転職は一度は経験するライフイベントだったはずなのに、それがないことにされているのはなんでなんだろうなと思いました。
また、佐々木氏は「総弱者社会」と主張していますが、「セーフティーネットが崩壊している」「みんなが弱者だ」というなら、今こそ宗教団体は濡れ手で粟を掴むかの如く拡大のチャンスのはずですが、全く影が薄いのです。
例えば、創価学会が高度成長期の成長に預かれない層をすくい取って大躍進を果たしたのとは対照的にです。
それは何故かと言えば、マジョリティだけじゃなくマイノリティにもある程度のロールモデルというものがあったように思えるのです。例えば、在日であれば焼肉屋やパチンコ屋を経営して、トランスジェンダーであればニューハーフ風俗みたいなロールモデルが明示されていて、その境遇に生きる人は何も疑いようもなくそのレールに従って生きていた。
マジョリティが崩壊したと言うけど、マイノリティの生き方も崩壊して多様化してきている。トランスジェンダー女性が普通に会社で働いたり、一般の芸能人になるなんて*1今まではあり得ないことでしたし、彼ら・彼女らが競技スポーツの場に立つことなんて考えられないことでした。
佐々木氏が引き合いに出す伊是名夏子氏も社会党県連の重役で、多くのボランティアを使役して子育てをしている身です。身体的には弱者でも社会的に強者ですし、数年前の乙武洋匡氏のイタリアンレストラン事件だって、乙武氏が身体的には弱者でも、著述家として一角の人間で収入的にも恵まれているからこそ反発された面も大きいでしょう。
このようにシチュエーションによって誰もが弱者にも強者にもなり得る時代というのはオーダーメイド化社会と言っても良いでしょう。
こうした時代のセーフティーネットや政策というものはもはや人の力に頼れる範疇を遙かに超えている。
全ての膨大な情報を一元的に管理して、その膨大な情報をコンピューターを駆使して処理するシステムとしていかないといけないのです。
しかし、情報の一元化には反対が多く、未だにカンコツを重んじる世の中では、それがおぼつかないと思うのですがどうなのでしょうか?
国立競技場の直天井からみる公共建築考
国立競技場はなんで直天井なんだみたいな話になったのですが、
1.大空間の吊り天井は地震に弱いことが東日本大震災で崩落事故が相次いだことから避難所としての機能が期待されるスタジアムには適なさい*1
2.スタジアム設計に置いて現在は「客は試合を見に来ないから予算を観戦環境を良くするために割り振るべき」というコンセンサスがあるので、コンコースの設計は露骨にケチる傾向がある。例えばコンコースはマツダスタジアムも露骨にショボいですし。
3.世論が90年代ごろから(バブル崩壊とは微妙に異なる)ハコモノへの予算配分に批判的になった。
一番根深い問題は3.でしょう。建築物の予算の妥当性なんて本来は高度な専門性を要求されるべき物なのに、建築の素人がくちばしを挟むようになってきていて、今は、とにかく1%でも高稼働率じゃないと文化施設の予算執行は認められなくなれています。
サッカー専用スタジアムというのも、パナソニックスタジアムは任意団体が建設して吹田市に寄贈し、その代わりに指定管理者としてガンバ大阪が超長期で契約したり*2、専用スタジアム化が話題になった等々力の再整備も東急によるPFI事業といったように、行政主導よりも、民間主導の事業が一般的であります。
そもそもスポーツの興業というのは極めて民間的な話で、行政とは馴染まない分野でありますし柔軟性がとにかく欠けているとなれば今後はスタジアムに限らず公共建築はPFI事業として民間に建築させて、行政はその建物を利用するというやり方はますます増えるでしょうし、スポーツチームやシェアエコノミーではありませんが、「所有する時代」から「支援・利用する時代」になっているように思えます。
また、デザインのブームもスカイツリーのような露骨に目立たざるを得ない建築は例外としても隠すデザインのほうが好まれるようになってきています。ザハとSANNAで争った最初の国立競技場のコンペのSANNA案も「隠す」デザインなので、そう言う意味では国立競技場は二重の意味で世評に反逆する建築物だったのかなとは思います。
サイゲの総帥が5億の馬を買った件
サイバーエージェントの藤田晋氏が5億円の馬を落札したらしいですが、サイバーエージェントと言えばCygamesの親会社。Cygamesといえばウマ娘なわけで色々と憶測も飛び交うでしょう。
今居る大馬主が70~80代の高齢の方が多く、大種牡馬と言われたディープインパクトとキングカメハメハが相次いでこの世を去った現状を見ると、おそらく今後10年で競走馬の市場の事情はがらりと変わってくるでしょうしで、若い人が名乗りを上げるとなるとこれほど強い頼みの綱はないでしょう。
しかし、今回初めて知ったのですけど、藤田さんって競馬ファンなのですね。考えてみればあんな色物コンテンツに熱を入れるって上層部がよほど競馬好きじゃないと実現はしないでしょうねえ。宇野康秀氏からは「馬とフェラーリだけは持つな」と言われたけど、そのUSENは一時のイケイケドンドンから後退して、店舗の経営支援に特化してしまっているのをみたら説得力は無いよなあ・・・。
調教の時計をみたら一番の好時計らしいし、西山茂行オーナーの指示を受けたグラスワンダーを発掘した尾形充弘氏を始めとするチームが下見にしたところ「1~2億円は行く」という評価で、「一番素晴らしい」という評価なのだそうです。(しかし、この人、舞台裏を良いの?ってくらいポンポン出すな)
まあ、素人の私よりも遙かに馬を見ている人が言うんだから、良い馬なんでしょう。確かに、素人が見ても足元は丈夫そうだという印象は受ける。
だけどきょうだい勝っていないわ、社台ファームのディープ産駒は良い成績がないのに5億は高すぎます。開始価格の7000万円くらいが妥当なような気がする。まあ、往々にして強い馬なんてセオリーやジンクスをぶち破ちゃうけど。
とはいえ、この落札の意味を考えていると中々深謀遠慮が見て取れますね。
まず、ウマ娘というコンテンツは競馬サークルとの好関係を維持しないと持続不可能なコンテンツだし、このご時世にわざわざ牧場まで行くなんて「上澄み」しか居ないでしょうが、迷惑な見学客が急増していたりと生産界には負担のみが押しつけられている現状があるので、馬主として参入することでその利益を生産界に還元するという意味もまずあるのでしょう。
なにより大事なのは、社台グループとのコネクションを深めること。関係が改善して一口系の競走馬が出せるようになると出せる馬の選択肢が一気に広がる。ステイゴールドを出したら多分ガシャ一発で5億はなんて回収出来るでしょうし。
単純にこの馬で元取るとか楽しむとか言ったら元取れないだろうし、長いスパンで回収する気概がないと5億は出せないんじゃないでしょうかね。
続・結局石原章弘P時代と今とではウマ娘は何が変わったのか?
前回のエントリーの続き。ウマ娘がどうしてあのような路線になったのかという考察をされる方がいらっしゃいますが、アニメやその1年前の2017年3月25日からサイコミで連載された。『STARTING GATE!―ウマ娘プリティーダービー』をみても、レースの話が根幹なので、少なくとも石原氏は純粋なアイドル物として作る意図は無かったのでは無いとは思います。
ただし、SGにもいまやコンテンツのキモともなる史実ネタって基礎設定しかなぞってないので、史実ネタというのは余り重視していないような感じはあります。
前回も紹介した2017年の石原氏インタビューの「複数育成システム」もテイオーとルドルフ同時に育成したらどうシナリオ展開するの?という話になりますしね。
タイトルの発表時に馬名を公表して居なかったことについて
あめ姫さんはこれを根拠に2016年3月の発表当時から揉めていたんじゃないの?という憶測立てていますが、馬名を公表を焦らすことで興味を煽るティザー広告だったようにも思います。
ところで、石原さんがバンナムを退職したのは同年の1月なのに、それからたった二ヶ月で全部お出しできる物になっているとは思えないので、退職前にプロジェクトが動いていて、石原氏の前任者もいてそれを引き継いだの見るのが自然だと思います。それともバンナムには内緒でサイゲのプロジェクトに関わっていたんですかね?
最初のPVはかなりロークオリティなのはいいけど、馬券見たいの持ってるけど何なんですかね?うまぴょいがBGMだけあってダービーのくせに随分真剣味がないし、なんでスケート?とかたしかにこれは競馬を馬鹿にしてるという反発はあってもおかしくないでしょう。
というか、キングカメハメハの扱いとか2016年の段階でもヤバそうですが、これ最初から名前出していたら金の卵を産む鶏を殺すどころか有精卵の段階で潰さざるを得なかったのでは?
競走馬の権利について
競走馬にはパブシティ権がないというのはその通りなのですが、引退後に確実に牧場に戻すため、良血馬の高額化が進んでいてリスクを分散させるために、最近の良血馬は牧場との共有が一般的になっていると言われています。そもそも馬主名義は代表者しかないし、馬主も牧場も詳らかにされたくないようなので実態は解らず、あくまで噂レベルなのですが。
で、引退して種牡馬になると種牡馬の今度は種付権を株に分割してシンジケートの構成員がそれぞれ所有するという形態が一般化しています。ディープインパクトのシンジケートは総額51億円ともされ、それを特定の誰かが持つというのは余りにハイリスクなので8500万円を60口にわけて株を募集したわけです。
このように馬主を許可を貰えば良いという程単純な話ではなく利害関係者全部に仁義を切るなんて話になったらとても拗れるのでクラブ系の馬は出しづらいし、発表した時点でなにかがトラブっているとなっても不思議じゃないのですが。
というかサイゲだって顧問弁護士くらいいるはずだし、人様の持ち物(それも有形無形の利益を現在進行形で生み出す)の擬人化なんてけものフレンズとは比べものにならないくらい複雑なことくらい知らないでは済まないはずですが・・・。
結論
個人的に見立てでは石原氏は肉じゃが(アイドル路線)を推したかったけど、勝手にアニメのスタッフがカレー(アスリート路線)を作ってそれが受けたからそっちに切り替えたんじゃなく、石原氏もカレーにはしたかったけど、どんなカレーにするかで他のスタッフ達とウマ(ウマ娘なだけに)が合わなくなったのでプロジェクトから離れたものと考えています。
結局石原章弘P時代と今とではウマ娘は何が変わったのか?
ウマ娘という作品はアニメからアプリが出るまでの空白の3年間に何があったのかを巡って随分と憶測というか都市伝説が多い作品です。
例えばノーザンファームから出禁を食らっているとかいう話もありますが、セレクトセールから大手馬主に買われ、引退後は社台SSで種牡馬入りという(ノーザンファーム産の)競走馬のエリートコースを辿ったサトノダイヤモンドが登場している以上は少なくとも現在ではノーザンファームからの一定程度の協力は得られているのは間違いないでしょう。*1
で、次の多い都市伝説は「アイドルゲームだったのに、アニメの方向性がスポ根だったから作り直した」というものです。そもそもかつて陣頭指揮を執っていた石原章弘氏はアイドルマスターの産みの親とも言うべき存在で東宝の伊藤隼之介プロデューサーが競馬ファンであり、石原氏もアニメ終了後の対談記事で「もし伊藤さんがいなかったらアニメは成立しなかった」とまで絶賛するほどだったので確かにその憶測はスジが通っているように見えます。
しかし、この説も根拠が薄い。実はアニメのシリーズ構成って脚本家の杉浦理史氏とともに、石原氏がクレジットされているわけで、方針転換をするにしてもアニメの企画が経った時点で変わっていないといけないはずです。少なくともアニメの評判をみて変えたというわけじゃ無いのでしょう。
じゃあ何が変わったのか?
アニメの放映1年前にされた石原氏のインタビューでは
世界観は基本“熱い”
とも言っており、競走馬を擬人化した美少女をレースで競わせ、勝てばライブというコンテンツの根幹とも言うべき方向性は一切変わってないように思います。
じゃあ、何が変わったのかと言えば、まずUIやグラフィックは向上していますが、石原氏の2017年のインタビューで気になる2点があるのです。
(複数育成が可能になるのかという問いに対して)その予定です。競馬ゲーム的なイメージだと“自分の牧場”と考えてもらえるとわかりやすいかもしれません。
結局育成できませんでした(笑)
リリースされたゲームは育成期間中はマンツーマンでクリアしたら次の子というアイマスのシステムを踏襲したシステムなのですが、インタビューの記事を見ると競馬ゲームのようにプレイ期間中に並行して何人も育てることが前提と考えていたのかな。だとすると、アニメやメインシナリオなどで出てくるチーム○○(星座名)って、複数同時育成システムの名残りなのでしょう。
もちろん、血統を考え強い馬を作り出すという馬主さんのロマンも、競馬のおもしろさのひとつだと思っていますが、僕は勝負の世界が生み出す“予想できない未来”を楽しむことがおもしろさだと考えているんです。
「配合はどうするんだ?」という問いはリリース前に散々言われてたことなのですが、女の子同士の上に、ヒトに置き換えるけど非常に生々しいけど、競馬ゲームのやりこみ要素なのでオミットも難しいと思うのですが、石原氏は果敢にもオミットしても良いと考えていたのかもしれません。
アニメの一期と二期を見て皆さん何か気が付きませんか?
さらなる違いはアニメにも見いだせます。一期の頃ってレースで限界に達したら「ムリー」っていうけど、二期は1話以外そんな描写無いし、ゲームでは一言も発していません。*2食べ過ぎでぼて腹とかギャグっぽい描写もなく、シリアス色が強い。これは漫画シンデレラグレイも踏襲していますし、もしかしたらもっとおちゃらけた作風だったのかなと思うのです。
思えば765は他マスと比べても石原氏退任後だけどチュパカブラとか、坂上氏の発案だけどスモック着せたり、メカ千早だの、悪く言えば内輪ノリが多い感じでそうした作風は石原氏の影響なのかも知れないなと思います。
まとめ
ただ、石原氏は毀誉褒貶が激しい人物でして、ヒットコンテンツの骨組みを作ったことは間違いなく功績だし、ポチポチゲーwなんて言われてた頃にあえてモバマスでソーシャルゲームに参入した先見の明などは間違いなく功績ではあります。
一方でウマ娘総合P退任挨拶の「この馬・・・いえ、この場をお借りして」なんてのがおそらく面白いと思って書いてるあたりギャグのセンスがないのに下手の横好きをしてしまう人で、石原カラーが思いっきり出たウマ娘ならここまでヒットしていたのかな?と言うと割と疑問符がつくところです。
他方で、僕は石原氏が降板後にアイマスを本格的に関わりだしたのですが、そうした目から見たら石原時代の方がアイマスというコンテンツは良くも悪くも新展開に積極的でお金を掛けてきたような気がします。*3アーケードの頃からプロデューサーだった人には違う目で見えるのかも知れません。
かといって15年前10年前に受けていた事を令和の時代にやって受けるとは限らないわけで、ウマ娘だって「石原さんが居ない方がヒットしたんじゃない?」と言われる位だし、じゃあ、今さら戻ってアイマスの陣頭指揮を執ったら良くなるのかと言えばそうとも思えないのもまた事実なのですが。
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ウマ娘という作品はアニメからアプリが出るまでの空白の3年間に何があったのかを巡って随分と憶測というか都市伝説が多い作品です。
例えばノーザンファームから出禁を食らっているとかいう話もありますが、セレクトセールから大手馬主に買われ、引退後は社台SSで種牡馬入りという(ノーザンファーム産の)競走馬のエリートコースを辿ったサトノダイヤモンドが登場している以上は少なくとも現在ではノーザンファームからの一定程度の協力は得られているのは間違いないでしょう。*1
で、次の多い都市伝説は「アイドルゲームだったのに、アニメの方向性がスポ根だったから作り直した」というものです。そもそもかつて陣頭指揮を執っていた石原章弘氏はアイドルマスターの産みの親とも言うべき存在で東宝の伊藤隼之介プロデューサーが競馬ファンであり、石原氏もアニメ終了後の対談記事で「もし伊藤さんがいなかったらアニメは成立しなかった」とまで絶賛するほどだったので確かにその憶測はスジが通っているように見えます。
しかし、この説も根拠が薄い。実はアニメのシリーズ構成って脚本家の杉浦理史氏とともに、石原氏がクレジットされているわけで、方針転換をするにしてもアニメの企画が経った時点で変わっていないといけないはずです。少なくともアニメの評判をみて変えたというわけじゃ無いのでしょう。
じゃあ何が変わったのか?
アニメの放映1年前にされた石原氏のインタビューでは
世界観は基本“熱い”
とも言っており、競走馬を擬人化した美少女をレースで競わせ、勝てばライブというコンテンツの根幹とも言うべき方向性は一切変わってないように思います。
じゃあ、何が変わったのかと言えば、まずUIやグラフィックは向上していますが、石原氏の2017年のインタビューで気になる2点があるのです。
(複数育成が可能になるのかという問いに対して)その予定です。競馬ゲーム的なイメージだと“自分の牧場”と考えてもらえるとわかりやすいかもしれません。
結局育成できませんでした(笑)
リリースされたゲームは育成期間中はマンツーマンでクリアしたら次の子というアイマスのシステムを踏襲したシステムなのですが、インタビューの記事を見ると競馬ゲームのようにプレイ期間中に並行して何人も育てることが前提と考えていたのかな。だとすると、アニメやメインシナリオなどで出てくるチーム○○(星座名)って、複数同時育成システムの名残りなのでしょう。
もちろん、血統を考え強い馬を作り出すという馬主さんのロマンも、競馬のおもしろさのひとつだと思っていますが、僕は勝負の世界が生み出す“予想できない未来”を楽しむことがおもしろさだと考えているんです。
「配合はどうするんだ?」という問いはリリース前に散々言われてたことなのですが、女の子同士の上に、ヒトに置き換えるけど非常に生々しいけど、競馬ゲームのやりこみ要素なのでオミットも難しいと思うのですが、石原氏は果敢にもオミットしても良いと考えていたのかもしれません。
アニメの一期と二期を見て皆さん何か気が付きませんか?
さらなる違いはアニメにも見いだせます。一期の頃ってレースで限界に達したら「ムリー」っていうけど、二期は1話以外そんな描写無いし、ゲームでは一言も発していません。*2食べ過ぎでぼて腹とかギャグっぽい描写もなく、シリアス色が強い。これは漫画シンデレラグレイも踏襲していますし、もしかしたらもっとおちゃらけた作風だったのかなと思うのです。
思えば765は他マスと比べても石原氏退任後だけどチュパカブラとか、坂上氏の発案だけどスモック着せたり、メカ千早だの、悪く言えば内輪ノリが多い感じでそうした作風は石原氏の影響なのかも知れないなと思います。