石油は競争力を失ったエネルギーとなった

原油価格は1バレル当たり40ドル代後半から50ドル代前半をここしばらくは推移している。新興国モータリゼーションで無尽蔵に石油の需要は増大するかのような喧伝が一時はなされ、石油供給のピークが起こると喧伝されていたが果たしてそうだったのか検証したい。

起こったのは供給ではなく需要のピーク

実は久保田宏東京工業大学名誉教授がエネルギー経済統計データを引用したグラフによれば原油価格が暴騰し始めた2005年以後は伸びが鈍化し、近年は減少にこそ至ってないが石油消費量はほぼ横ばいという状況なのである。実は起こったのは供給ではなく需要のピークだったのだ。

それに対し旺盛な伸びを示しているのは天然ガスと石炭で、中でも石炭は温暖化対策もなんのそのの伸びっぷりである。
これらの要因により、2010年度の1次エネルギーのシェアは石油が32.3%、石炭27%、天然ガス21%、原子力5.7%の順になった。既に石油化学用の原料を除けば石炭がトップとなっているという見方もある。つまりエネルギはー石炭から石油にもどり再び石炭に回帰しつつあるのである。

競争力を喪失したエネルギー

石油はこの10年間で実需を考慮しない乱高下ぶりで、価格が安定しないエネルギーというイメージが定着している。これは経済性が何より重視されるエネルギーにとって致命的なことではないか。例えば、この冬は灯油の値段が下がったから「石油ストーブが売れた」とか「灯油が売れた」という話は全く見られなかったし、電気代が値上げしているさっこんではオール電化離れが起こっているが、電気と値段がほぼ変わらないにもかかわらずガスが選択されてる傾向があり、石油はエネルギー間の競争で競争力を失っていると言わざるを得ない。

今は替えが効かないが・・・。

確かに石油には自動車と航空機という替えの効かない需要はあるが、しかしそれらの需要は原油価格の高騰に対抗するべく省エネ技術の開発を進めており、例えば車を平均10年乗り換えるとして燃費が10年間で平均25%減少しているとしたら、それだけでも年間2.5%ずつ減る計算となっている。

また、水素自動車の燃料の水素も当初は従来型の化石燃料由来の水素であろうが、水素は電気と同じ二次エネルギーで有り、褐炭・自然エネルギー・高温ガス炉など多彩な水素供給源との競争が起こることは間違いないし、従来型の化石燃料相手でも天然ガスや石炭との競争が待っているのである。

新興国も老いていく現実

更に言えば中国の成長も人口オーナス社会への転落が今年にも起こると言われており、さらに先進国が金融緩和により自国通貨安に誘導する政策を採っているが、これは製造業にとっては自国生産に回帰するインセンティブになる。しかし、その先進国は既に高効率体質となっている上に、車も増える見通しが立たない。インドやインドネシア、果てはアフリカなどを対象に「ワンモアチャイナ」を目論む声もあるだろうが、それぞれの国は経済発展を阻害する固有の深刻な問題を抱えており、一筋縄ではいかない。

産油国新興国初の経済危機に注視を

しかし、我が国は現在通貨安と原油安で経済成長を歩めているが、それは逆に言えば、新興国産油国の経済情勢は火の車である言うことである。サウジアラビアは自らの権力維持のために多数の金を国民にばらまいていると言われるし、中国も常に経済を成長させる自転車操業でないと政権維持は困難であると考えられている。これらの国から経済危機が起これば現在の前提条件はすぐに崩れる。極度におびえる必要はないにしろ頭の隅に置いておいても損は無いだろう。

職業人育成を求められるのであれば教育界の総意として職業高校の復権運動を!

 

大学で「職業人」育成を 教育再生実行会議が提言 :日本経済新聞

大学で「職業人」育成を 教育再生実行会議が提言
2015/3/5 0:05

 政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は4日、職業に結びつく知識や技能を高める実践的なプログラムを大学に設けるとの提言を安倍晋三首相に提出した。アカデミックな教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が求める「即戦力」となる人材を育てるのが狙い。社会人の学び直しを後押しするとの期待もある。

 同会議の提言は6回目で、今回は生涯学習の推進を主なテーマとした。安倍首相は「誰でも学び続けることのできる社会をつくる。女性の活躍や地方創生にも極めて重要だ」と述べた。

 提言は大学のあり方に関し「人生を豊かにする学びに加え、実学を重視した教育を提供することも必要」と指摘した。そのうえで資格の取得などを目指す教育プログラムを各大学が設け、国がこうしたプログラムの内容を認定する仕組みを創設するよう提案した。

 プログラムの開設にあたっては、民間企業や地元自治体と連携し、産業界や地域のニーズを採り入れることを要請した。

 同会議は昨年9月に分科会を設け、大学を若者だけでなく全世代の学びの場と変える方策などを議論した。委員からは「地域が求める人材と大学の教育内容にミスマッチがある」「全ての大学が『ミニ東大』のような総合大学である必要はない」などと、大学の機能分化を推進すべきだとの指摘が相次いだ。

 産業界や地域の間には職業教育の強化を大学に求める声は多い。一部の大学は動き出しており、ワインの産地として知られる甲府市にある山梨大は来年度、高品質なワインの製造技術を学ぶ新たなプログラムを開設する。醸造家らを講師に招き、日本ワインの輸出増加に貢献する人材を育てる狙いという。

 文部科学省は提言を受け、大学の実践的なプログラムを文科相が認定する制度の検討を始めた。専門学校には既に同様の仕組みがあり、民間企業と連携した様々なプログラムが開設されている。

 提言はそのほか、子育て中の女性らが無理なく学べるよう大学の在学や休学期間の上限を弾力化することや、地域住民が学校運営に参加する「コミュニティースクール」(地域運営学校)を全校に広げることなどを盛り込んだ。

 

「そんなに必要なら会社が金を出して作れ」という人も居ますが、実は日本にはそうした教育制度が準備され既に多くの卒業生が社会の第一線で活躍しています。

仮に「職業人育成を企業から求められてる」というのであれば、それを活用しない絵はありません。

それが、職業高校です。

しかし、どうも職業高校も地域性や時代に合わせ酒造りを教えたり、サラブレッドの生産やプログラミングの科目などを取り入れてるにも関わらず、社会、それも教育界ですら忘れられた存在であるように思えます。

とりわけ工業高校の置かれている立場は深刻で、ピークだった1965年の925校から、13年には542校と4割以上も減り、生徒数に至ってはピークの62万人から26万人へ6割弱と少子化というレベルではないくらいに減少している実態があるのです。

さらに言えば、職業高校のイメージは『ビー・バップ・ハイスクール』のような不良のための学校だとか、高校ラグビー高校野球の為の学校というイメージも強いのです。

実際、工業高校に通って職業人として社会で活躍するような階層の人々を「マイルドヤンキー」と呼んで差別的に扱っている社会学者が居ましたし。


職業人育成が焦眉の急というのであれば、教育界は全力を挙げて職業高校の復権を訴え、大学は本来の研究の場としての機能を取り戻すべきではないでしょうか?

発送電分離閣議決定・シャープ太陽電池事業売却 3.03は日本のエネルギー史の節目となるか。

2015年3月3日は日本のエネルギー史にとって記憶されるべき日になるのではないでしょうか。

枝野氏が「ホルムズ海峡が封鎖され石油が入らなくても快適な生活が送れなくなる程度だ」とか珍答弁をした裏で発送電分離閣議決定されました。

電力ばかりが取りざたされてますが、1年遅れて東京瓦斯東邦瓦斯大阪瓦斯も発送分離がされます。

それについてはいろいろ批判や反対件も多いですし、個人的にも反対ではありますが、事実上決まったとして受け止めてどう我々が変化に対応し、悪影響があるとしたらそれをどうヘッジしていくかを考えた方が建設的ではないでしょうか。

さて、発送分離と言うことはすなわち電力会社や大手ガス会社を強制的に弱体化させるというわけですが、裏を返せばエネルギー業界の中では石油会社の力は強まるわけです。

ましてやガソリンの需要がこれから急減していくことは確定的で、石油会社は是が非でも電力・ガス事業に参入したいでしょうし、経産省としても製油所の削減を半ば強要させて不満が溜まってる石油業界への人参でもあるでしょうし、「エネルギー分野における自由化の先駆け」として「電力会社やガス会社『なんか』と違って競争に揉まれきた」という自負もあるでしょう。

事実石油連盟の広報委員長の人がこんなことを指摘しています。

石油連盟広報委員長「電力・ガス自由化は商機」 都内でシンポ :日本経済新聞

 石油連盟は2日、都内で「石油の力。」と題するシンポジウムを開いた。亀岡剛広報委員長(昭和シェル石油の石油事業最高執行責任者)は2016年から始まる電力・ガスの小売り全面自由化を念頭に「石油はすでに自由化され競争に慣れた業界だ」と指摘。そのうえで「参入することでエネルギーを総合提供できる商機になる」と語った。

 3回目となるシンポジウムでは家庭でのエネルギーミックスをテーマに亀岡氏が主婦連合会の代表者らと意見を交わした。車のガソリンだけでなく暖房器具に使う灯油や衣類などの原料となる基礎化学品など、日常生活での石油の幅広い活用事例を紹介して理解を求めた。

 

また自由化によって、電気の質、さらには過疎地への供給問題が不透明さを増す中では、ポリタンク一つで運べる石油が業界の提言どおり「最後の砦」として、灯・軽油やA重油による自家発が見直される可能性は充分にあると思います。

もっとも石油会社の非石油事業って、石油事業の下手したら原発並みのイメージの悪さからかCMでは大々的に宣伝しますが、物になってるのはJXの金属事業くらいな気もしますが。

ところでさっぱり進まない出光興産による昭和シェルの買収話ですが、こんなニュースが飛び込んできました。

シャープ、昭和シェルと交渉 太陽電池工場を売却へ - 47NEWS(よんななニュース)

経営再建中のシャープが、太陽電池を生産する堺工場(堺市)を、昭和シェル石油の子会社のソーラーフロンティア(東京)に売却する交渉を進めていることが3日、明らかになった。

 シャープは国内の太陽電池市場でシェアがトップクラスだが、採算が悪化しているため、売却に踏み切る。既に欧米での太陽電池生産から手を引いており、堺工場が売れれば、太陽電池から全面撤退することになる。

 電子部品を手掛ける広島の4工場も閉鎖を検討しており、遅れていた国内の不採算事業の再編が本格化する。

シャープという会社もつくづく不運な物で、
堺工場から世界制覇や!→政権交代で円高→あかん。液晶工場売って海外移転をせな!→アベノミクスで円安→円安やし液晶を中国のスマホメーカーに売るで!→ジャパンディスプレイとの価格競争に負ける→液晶は駄目や!→電力会社が買い取り拒否で太陽光バブル崩壊

と株式市場の世界では「国策に逆らうな」とは言いますが、ことごとく取った施策が国策に逆らう形で裏目に出ている会社です。

フラッグシップとしての自負も強いであろう太陽電池事業を売ると言うことは液晶事業もJDIに売って自身はプラズマクラスター屋になる覚悟を決めたのかも知れません。

話をソーラーパネルに戻しますが、ソーラーフロンティア太陽電池は物は良いらしいのですが、正直あんまり売れてn・・・なので、買収して営業力を強化するのは良いのではないでしょうか。

しかし、これで気になるのは出光との買収がどうなったかということです。2月には社長が交代したし、提携についてはどうも最初からお茶を濁してばかりでただのアドバルーンにしか思えません。

そもそも無借金経営ならいざ知らず多額の借金がある出光がシェルを5000億の大金を出して買収する事は全く経済合理性のない、経産省への義理立てとしか思えない行為なのです。

それだけのお金を使うなら「海賊と呼ばれた」出光佐三氏を創業者に持つ会社らしくフィリピン辺りに製油所を作って製品を日本に輸入し、ホムルス海峡と第一列島線の内側を経由するシーレーンの複線化に貢献するとか、国に義理立てをするにしても「電力会社の火力発電事業を5000億で買います」とかやったほうがよっぽど有意義だと思うのです。

と、そんなことを書いていると丁度こんなニュースが

 


LPガス 4社統合元売会社、新社名は「ジクシス」 | レスポンス

コスモ石油昭和シェル石油住友商事東燃ゼネラル石油の4社は3月3日、LPガス統合元売会社の新社名を「GYXIS(ジクシス)株式会社」とすることを発表した。

4社は、各社のLPガス元売事業の統合にむけて昨年8月5日に統合契約書を締結。その後、事業統合の受け皿会社となるコスモ石油ガスとの間で、各社は吸収分割契約を昨年12月18日にそれぞれ締結し、事業を統合する準備を進めてきた。

新社名「GYXIS(ジクシス)」は、「Gas(ガス)」と「Pyxis(ピクシス=羅針盤座)」を組み合わせ、LPガスビジネスの未来を指し示す羅針盤となる会社でありたいという思いを込めたという。

あわせて発表したコーポレートマークは、青い地球の中に緑の環境を包み込むループを配置。「地球環境に優しいLPガス事業に取り組む」企業姿勢を表している。

新会社ジクシスは、現エネサンスホールディングスの山本一徳社長が社長に就任し、4月1日に設立する予定。

・・・コスモ・昭和シェル・東燃ゼネラルの三社合併でジクシス石油株式会社。ロゴも気合い入ってますし、これで良いんじゃ無いですかね。千葉の統合は決まって四日市も統合可能ですし。懸念材料は三社の統合後の権力闘争で「軸死す」にならなければいいんですが。

 

【書評】石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門

 

 読んだ。著者は資源畑を歩んだ元商社マンで、おもに石油と天然ガスに主眼を置いてその事情の基礎を語る本である。エネルギークラスタとして既知のことも多いが、いろいろハッとさせられることも多い。

石油は戦略物資か?

石油は戦略物資という見方がされている。
しかし、その一方で先物取引などを通じ多くの投資家や企業が取引に参加するコモディティ商品でもある。

著者は石油について、輸送が困難でガス田の近隣でパイプラインとして消費するのが最も有利な天然ガス、自国でほぼ消費される石炭、他資源と全く別の安全保障の枠組みで考えられてるウランと比べ用意に輸送でき、6割が国際貿易で取引されるにも関わらず、資源が中東やアフリカに偏在している石油は「平時では商品であっても非常時には戦略物資である」と指摘している。

非常時に戦略物資となる石油を確保するために長期的観点から官民を挙げて石油開発に取り組む必要があると指摘している。

これは私も大変に同感である。昔はメジャーにオイルショック以後はOPECに牛耳られてきたとはいえ、脱中東依存や日の丸油田*1というものが喧伝されているが、例えば「非中東で開発された日の丸油田」は日本の石油消費なかできわめて小さい。

これは上流部門と呼ばれる石油開発部門の日本の存在感はきわめて弱いことも一因としてあるだろう。

しかし、上流部門を強化するにも日本は余りに人材が不足している。今や大学で「資源」を学部に関する学校は秋田大学程度であり、シェール開発の続くアメリカとは石油開発に関する人材を育てるシステムが雲泥の差であると著者は指摘する。

原子力関係の学部が学生不足や原子力外しに動いていることを懸念する声が多いが、石油資源開発の分野でも同じ事が言えるのである。

豊富なストックによって支えられるシェール革命

また、アメリカの豊富な人材はシェール開発を育てる地盤の一つである。アメリカの石油産業を考えるのに欠かせないのはサブコントラクター(サブコン)と呼ばれる石油開発サービス会社である。探鉱から販売に至るまで細分化された多くの業者が存在し、能力さえあれば自社に専門家を雇わなくても石油開発が可能となっている。

もちろん人材だけではない。国家の隅々まで膨大なパイプラインが張り巡らされ、入札手続きを取ればどの業者でも自由に使える。

さらに普通は国家に属する鉱業権が土地の所有者に属し、鉱業*2の活発な売買が行われている。

こうした環境はアメリカ人の国民性も相まって石油で一山当てる山師を多く生み出した。

さらにシェールの掘削には水が欠かせず、水資源も豊富に備わっている、こうした好循環の積み重ねで初めてシェール革命が起こったのである。

シェール自体は世界中に遍在しているが、アメリカ以外の国は何かしら普及を阻害する要因があり、なかなか他国でシェール開発は進まないと著者は指摘している。

代替の効かない資源と本質を見ない議論

さて、この著書で私がもっともハッとさせられたのは、「代替不能な石炭と石油」という記述である。これはどういうことかというと、輸送分野は石油、鉄鋼分野は石炭に依存し、その代替が不可能と言うことなのである。もちろん輸送分野は水素自動車や電気自動車、鉄鋼分野は高圧ガス炉を使った原子力製鉄が研究されているが、いずれも従来の石油や石炭を脅かす物ではない。

更に言えば、これらの分野は使用エネルギーでも無視できないのである。輸送分野のシェアが大きいことは多くの人は想像が付くと思うが、23.3%にも達する。これは電気の24%に匹敵し、鉄鋼に至っては国内に15カ所しかない銑鋼一貫製鉄所を中心に11.2%も消費している。

しかし、エネルギーの議論は世論どころか国ですら電力政策と完全に同一視されていると著者は指摘している。

昔も今もこれからも「石油の一滴は血の一滴」

著者はまるで「電力供給計画」のようにとなっている国のエネルギー計画に違和感を抱き、如何に石油などの一次エネルギーを確保するかが重要であるという指摘している。

考えるに、輸送を軽視する傾向が日本の悪しき伝統であるが、石油がなくなれば少なくともラストワンマイルは人力か動物の力に寄るしか輸送は不可能になってしまう。

原子力発電所ウランも運べなくなる。停電しても電線やら工具やらを積んだリアカーを使わない限り修理できないだろう。野菜も物資も運べない。そうなったら現代生活は崩壊する。

現時点では「自動車には石油しかない」という図式が変わらない以上はもっとも重要視するエネルギーは石油であると私は考える。なにより以前も書いたが石油の値段が下がれば全てのエネルギーの値段は下がるのである。

しかし、国のやっていることは、製油所の整理などの石油軽視としか思えない。もちろんガソリンと重油の需要が急減する中では高度化・再編は避けられないが、製油所の分散化などの縮小する中でのエネルギー安保の確保に心血を注いでいるとは思えない。

本来であれば国と元売が共同で日本海側に巨大な製油所を作ったり、パラオだとかフィリピンあたりに建設国と共同で化石燃料の備蓄・中継・気化基地を作りシーレーンの複線化や備蓄の積み増し*3などを進めていくべきではないか。

出光興産の月岡隆社長が2013年の社長就任時の東洋経済のインタビューに答えこのような指摘をしていた。


シェール革命、「むしろ石油に脚光」 | インタビュー | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

ガスは地産地消が安くていちばんだということ。日本はガスをわざわざ液化して運んで、再び気化するので、コストがかさむ。一方、米国がシェールオイルも増産して、中東から原油を輸入しなくなると、中東の原油の行き場はどうなるのか。そのときこそ、日本にとっては運びやすく、貯蔵性も高く、インフラの整っている石油が注目される。そういう局面が来ることが十分考えられる。

初見の時は石油会社の、それも天然ガスへの投資が遅れている*4石油会社のポジショントークと思いつつも、肘を打ったものであるが、この本を読むと月岡氏の指摘は改めて深いものがあると痛感させられる。

エネルギーの議論はネットでさえ、他のエネルギー源に視野を持たない者達の極論言い合い大会となっているが、エネルギーは現実社会そのもので有り多角的な視点に立たないと本質を見抜けないのである。

 

*1:日本の会社が開発した油田のこと

*2:鉱業権のことをアメリカでは「リース」と呼ぶが、リースのバブルが起こっておりシェールの掘削コストの高騰を招いている

*3:著者は少なくとも石油備蓄は2年分、天然ガス備蓄は半年程度が最低限好ましいと考えている

*4:大手元売り会社で国内のLNG気化基地に投資していないのは出光と昭和シェル石油のみ

石油は無限にあっても、石油はなくなることはあり得ますって

石油の無機起源説を唱える人は、大抵オカルトとか反原発とかそっち方面の人なのですが、声を大にして言いたいのは、資源が無限にあることと経済的に引き合うかどうかは別問題と言うことです。

まあ、無機起源説を唱える人は大抵経済という概念を知らないのか、それとも経済は悪という固定観念に縛られているので仕方ないのですが・・・。

そもそも石油の残りは40年という根拠はあくまでも「現在の技術と価格であと何年掘削できるか」という話であり、高騰していけば有機起源説であっても非在来型資源を含めれば100年~200年は持つと言われていますし、逆に極端な話ですが、イスカンダルから核融合の技術がもたらされて石油が採算に合わなくなったら、その段階で0年になります。ですから無機起源説であっても「残りX年」という概念は成立しえるのです。

第一、ロシアは無機起源説が有力なので、おそらくは石油開発も無機起源説に沿った石油開発がされているでしょうが、その結果が原油が50ドル/バレルになった程度で財政破綻寸前です。

第一、無機起源説を信じて、大もうけできると思うならベンチャー企業でも作って裏庭を掘るのにしないで、ピーピー喚くのは何かが違うと思いますよ。

 

追記:無機起源説自体は研究の価値があるとは思いますが、どうも無限に安価で採れる魔法の説扱いされてるのが気になりました。

日本人は猿に戻るつもりか?改めて考えるエネルギー

原油価格が一気に半分に下がった。昨年6月に1バレル107ドルをつけましたが、今年1月には45ドルにまで急落し、現在は50ドル程度であるが、上がるのか下がるのか、まだまだ予断は許すまい。このような状況で改めて日本のエネルギーの行く末を考えたい

前提条件が変わった

原油安の原因として有力視されているのはサウジアラビアによるシェール潰しと言われている。もしそうであれば原油も他の商品市場のように投機筋や限られた供給者の思惑に左右される不健全な市場ではなくなりつつ事を示している。これは日本にとってエネルギーの安定供給にはこれ以上無い福音である。

原油市場の健全化には原油の産地であるとか在来型か非在来型かのみならず、他のエネルギーとの競争も欠かせない。電力であれば既に原子力・石炭・天然ガス自然エネルギーなどが存在してるが、自動車は天然ガス自動車電気自動車を除いてほぼ石油に頼っている。

必要なのは水素自動車の普及

そこに別のチャネル、すなわち水素自動車の普及が欠かせない。というと、なぜか原子力容認派の人達から「課題が多すぎて現実味がない」だとか「エコロジーではない」ととかく否定的な反応をされることが多い。しかし、水素自動車の普及の意義は自動車の脱石油化であり、水素さえできればそのエネルギーは何でも良いという多様さである。

川崎重工は豪州の褐炭という未利用資源を改質して水素をつくり日本に運ぼうとしている。出来るCO2は地中に戻して封じ込める。マスコミ報道では「自然エネルギーで生まれた電気を水を分解してこそ」と言われるが未利用エネルギーの活用の方が本命であろう。

もっとも、マスコミの報道はHV→EV→クリーンディーゼル→FCVとボージョレヌーボのように毎年「究極のエコカー」がかわるので来年にはダイハツウェイクのCMのように車のボディに自転車をくっつけたのが「ナウい」と言い出すのかも知れないがw

今だからこそ石油への投資を怠るな

2012年の民主党政権下で策定された、「革新的エネルギー・環境戦略」によると2030年の一次エネルギー供給量の76~83%と圧倒的な量を引き続き化石燃料に依存することとされている。(図1)

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図1 引用元:水素社会を拓くエネルギー・キャリア(2) | NPO法人 国際環境経済研究所|International Environment and Economy Institute

 

もちろん自然エネルギー由来の水素技術の開発普及次第ではあるが、実際には原子力フォビアの世論が根強く、また経済の成長から石炭が発電比率の5~6割程度に増え、原子力は目標こそ思ったよりも高けれど、実際には世論と規制の壁に挟まれほぼ0に近づくように思えてならない。

このような状況ではますます化石燃料の重要性は増している。更に言えば天然ガスの多くは石油と一緒に採掘される余り物であるし、資源価格は石油に連動しており、相関関数は石炭で0.912、ウランで0.808(2010年までは0.852)天然ガスは0.941と極めて高い相関である。(図2)

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図2 単位は、LNGがUSドル/100万BTU、ウランがUSドル/ポンド、原油がUSドル/バレル、石炭がUSドル/トン

 

既に減少した石油への投資から2040年には石油不足を指摘する声が出るなど、既に次の石油高騰への種は蒔かれつつある。日本に必要なのは投資の最後の担い手として果敢に石油に投資することだろう。

思うに日本のエネルギー政策はベストミックスとは聞こえが良いが、問題があればそのエネルギーから逃避する施策であったように思えてならない。でなかったとしたら、中国にばかりODAを投じたり、ホムルス海峡を迂回するパイプラインへの投資やパラオに巨大な備蓄基地を建設するなどのシーレーン分散策が取られていない事が理解に苦しむのである。

そして、今でも原子力に真正面から取り組む姿勢が全く見られていない。このような青い鳥探しをしていたら日本は最後には江戸時代どころか火を捨て猿と同じ暮らしに戻らざるをえなくなるのではないか。

もはや逃げは許されない。

阪神大震災と「語り継ぐ」違和感

きょうは二本立てで。

昨日は、阪神大震災から20年。先日開かれた神戸市での成人式で新成人が「私たちは震災を知る最後の世代」と語っていたらしい(伝聞)のだけど、記憶にあるのは最低でもおそらく5歳くらい上の人達。

奇しくも、艦これ関係のTwitterのフォロワーに彼らと同い年の自家製さんという方が居るのですが、彼女のつぶやきがリアルなのだと思います。

で、そうなってくると当然持ち上がってくるのが「語り継ぐ」とか「風化されてはならない」とかいう話。オーラルヒストリーをまとめるとか、経験を元に新たな設計をするのかという話なら分かるけど、マスコミや左翼団体の言う「語り継ぐ」というのは「戦争を語り継ぐ」というのと同じニュアンスとしか思えないのです。

今でも、テレビでは8月15日になったらバカの一つ覚えのように何ら新鮮味の無い終戦特集が組まれてるけど、あれがどこまで「真の平和」に繋がっているのか甚だ疑問で、厭戦感を煽るドラマよりも外交努力を磨く方がより「真の平和」に繋がるのか疑問です。

震災でも、「語り継ぐ」よりも「防災のための公共事業にもっと予算をつぎ込むべき」と言った方が本当に身柱のためになると思うし、実際東日本大震災では阪神中越の経験が生きて高架橋の補強が進んだ結果、地震に被害が最小化された実例があるのです。

というと、ハードの対策には限度がある、ソフトも大事と言われるかも知れないけど、そういう人に限って軍政下の韓国のように毎月全国レベルの訓練をやったり、真夜中に住民参加の避難訓練でもやるべきとまで主張されている方は見られないし、そもそもソフトの対策というならどれだけ家具やテレビを固定されておられるのか?甚だ疑問なのです。

これに限らず「語り継ぐ」人々は殊更に「命が大事だ」という傾向にありますけど、偽善としか思えてなりません。もっと物理的な者を求めるのが国の仕事だと思うのですが・・・。