20年経った今だからこそ価値を増す名書「日本の競争戦略」

 

日本の競争戦略

日本の競争戦略

 

 読んだ。ビジネス書(と言って良いのかな?)の類いというのは一見すれば数年で賞味期限が切れてしまうような本も多いが、本当に価値のある本は時代を受け継がれても変わらない普遍性があるが、この本の内容も携帯電話の輸出産業化に期待するなど時代がかった記述もあるが、その多くは初出から20年経ってもまるで今年書かれた本であるように耳に痛い指摘が多い。

 しかし、それは日本の競争戦略において非常にまずいことであろう。「日本企業は揃って同じようなビジネスモデルなのに、国際的な競争力がある産業は(ドイツと比較しても)ごく少数で、かつ八〇年代をピークに競争力は下がり続け新しい産業は産み出されていない」と、指摘し、日本政府がやりがちな保護育成策は間違いだ。国がやることは、競争の推進、技術革新を促す規制*1と、義務教育と、専門教育の充実。長期投資の奨励こそが寛容である解いているが、これは非常に耳が痛い指摘である。

 結局の所、日本企業が輸出産業で強みを持つのは、極端な話を言えば未だに「車と家電とその部品」の一言で片付けられ、かつ、なぜGDPの6割を内需が占める国がここまで外需の影響に対し脆弱なのかをつまびらかに明らかにしている。本著でも大学改革の必要性が訴えられるが、あれから20年経ち、大学こそ国に保護育成策の元で育てられた「失敗産業」(本著での「保護育成策に庇護された」競争力の無い産業の表現)であることが如実に解ってきている。

 国立大学の独法化や予算削減などあれほど大学に対して酷い仕打ちを受けてきたのに、まだ学術界は国に期待をかけ続けてきているが、もちろん国が予算を出すのがベストなのは論を持たないが、そろそろ学術界も自力更生に励む時期なのかも知れない。もっとも防衛予算どころか企業からの研究持ち込みすら、どこか嫌悪感を抱く風潮があるように見えるが。

 本書の刊行から20年経ち、「競争」と「戦略」の重要性を説いているがむしろ世論からはますます「競争は悪」という風潮が起こっているように思えてならない。

 高度成長期の「成功体験」*2と、中国が政府主導で計画経済の元で成長を果たしたように見えるので、余計に政府がもっとしっかりして経済戦略を立てろという声が主流になってきた。また、リストラへの恐怖なのか、「選択と集中は悪である」と主張する声も強い。

 例えば、100億円しか無い状況において、ともに100億円の投資が必要なAとBがあり、どちらを選ぶかというのが本来の意味での「選択と集中」であるのだが、どっちもつかずに50億円ずつ投資するという中途半端なことがしばしば行われがちであり、他方SNSでは出せる資金が100億円しか無い状況なのに「どっちも100億円ずつ出すべき」とか人の話を聞いていないとしか思えない批判を良く聞くが、全ての分野に無尽蔵に金を出すというのはそれはそもそも戦略では無い。いや、本当に無尽蔵に金が出せるならそれも戦略なのだが、実際にはそんなことは無い。

 日本企業が行ってきた「選択と集中」というのは、得てしてドメインを無秩序に拡大しつづけ、一度経営状態が悪化しても中々手放さず、手の付けられない状況になって初めて事業から撤退を始め、結局企業の全体の体力を摩耗する結果に終わってきた。これは戦略としての「選択と集中」ではない。戦略というのは限られたリソース。すなわち手持ちの資源をいかに有効に使うのか。言い換えれば何を棄てるのかを決めることである。

 さらに言えば、リソースは資源である以上は使えば消える物であり、それは人材も例外では無いはずだが、この20年でその当たり前のことが忘れ去られ、リストラ時代に生まれた豊富な労働力を人海戦術で力業で解決するようなことが横行してきたように思える。その「豊富な労働力」も中国だとか東南アジアに比べれば遙かに高コストであり、それが更に日本企業の競争力の低下に拍車を掛けてきた。

 人々がなぜ全張り戦略が善とされるのか。日本人の特性なのかは知らないが、ジャーナリストや政治家といった知識人から市井の人まで「大企業や国や自治体は金やリソースは無尽蔵に沸いてくるが、それを出し惜しみしている」という勘違いがあるように思えるし、そもそも「総合○○企業」こそが価値があるという価値観が広く根付いているように思える。

 しかし、資本市場においては問答無用で「小さくても高い利益率を上げる企業が偉い」のである。また企業である以上は一義的には収益を上げることが第一で健全な収益が無くして、社会への貢献も雇用も果たせないのであるが、そもそも収益を上げるということが卑しいとすら思われているように思える。

 そして、「総合○○企業」こそが価値があると言う価値観はインターネット企業においても通底する概念である。YouTubeは動画配信サイトに徹するのに対し、ニコニコ動画はやれ立体だやれ静画だやれイベントだと、本来なら動画配信に経営資源を集中すべきなのに「何でも手を広げて」結局大きく水をあけられたし、PixivのUIが使いづらいというけど小説から始まって、あれもこれもと「クリエイティブなこと」であればとにかく手当たり次第にやるというスタンスが見て取れる。「何をやらないか」という定見が無いサービスが限りなく膨張しているのである。

 さて、冒頭に書かれた携帯電話の輸出産業がなぜ果たされなかったのかと言えば、携帯電話メーカーは携帯キャリアの庇護下に置かれ、ひいては国による保護産業であるが故に高付加価値化をしてもそれを売り込めなかったのではあろう。日本の携帯産業で一番競争力のあるのは電電ファミリーでは無い京セラとソニー(それですらコモディティ化に翻弄されて1%もない)というのがその証拠であろう。

 また、本書に書かれていないが、80年代前半には240円/ドル近くあった為替レートも大きな競争力になったであろう。

 本来この本は廃れるべき本であろうが、価値が高まるのは大変遺憾に思うがますます価値を増し続けており、日本経済に興味のある人であれば本であろう。

*1:保護育成策ではない

*2:実際にはもちろん誤りであることは本書でいいだけ書かれてる