都市単位で行う五輪は東京が最後!?

 【ロンドン時事】国際オリンピック委員会(IOC)は18日、策定中の改革案「五輪アジェンダ2020」の40項目にわたる提案を発表した。夏季五輪の実施競技について現在最大28と定められている競技数にはこだわらず、選手数を1万500人に抑えた上で310種目を上限とすることなどが盛り込まれた。
 実施競技はIOC総会で決定し、2020年東京五輪で復活を目指す野球・ソフトボールの実施が検討される可能性は残る。開催都市が実施種目の追加を提案できるとする項目も含まれた。
 冬季五輪は選手数2900人、100種目が上限と明記された。他に立候補都市の費用負担軽減や、特別な事情がある場合に開催都市の国以外で一部競技を実施できるとする案などが含まれた。
 IOCは40項目の改革案を12月の臨時総会(モナコ)に諮り、それぞれの提案について委員が判断する。 (2014/11/18-22:21)

見出しでは、競技数の方が大きく出ているのですが、「開催都市の国以外で一部競技を実施できるとする案」という下りの方が五輪の理念を覆すよほど重要な話です。

五輪というのは「都市単位での開催」という原則があります。しかし、モントリオール五輪が大変な赤字となったことからロサンゼルス五輪では商業化を旗印に成功しました。しかし、その後は肥大化の一途を辿り皮肉にもロス五輪が掲げ実現した「一線の税金も使わない五輪」という理念は消え去り、国ぐるみで多額の税金を投入しなければ実施は不可能な物となっており、大会の度に建設の遅れや運営コストが起因とするデモ活動が行われているのはご存じの通りです。

その結果、特に冬季五輪では辞退する都市が相次ぎ、2022年大会はアルマトイか北京だけが残り2大会連続でアジアで開催されることが決定的となっております。

このような自体を受けてIOCの一部委員からも国単位での開催が提案されることがあるなど都市開催原則は大きな曲がり角を迎えております。

また、IOCが直々に「バスケットボールの会場を大阪で開くべき」という提案もされていることは、今回の改革案としてのテストケースとしして想定されているのでしょう。

国立競技場建て替え問題も反対論者は開閉会を東京ドームで行い、陸上競技は横浜か味の素*1という提案もされても良いのかも知れません。

 

*1:もっともラグビーWCの会場が国立と想定されている以上、建設は必定だろうが。

札幌市は地下鉄の暖房代を負担する金は無くてもゾウや五輪に使う金はあるらしい


上田は頭が可笑しいんじゃないか?

まだ、地下区間だけ切るというなら話はわかる。東京の話ですが本質的に地下鉄は熱がこもりやすいのでので銀座線には暖房が無い車両もありますし、冷房を付けるケースもあります。

だけど、南北線全線の37.1%が地上区間*1し、それで暖房を切るというのは根拠である「暖房を入れなくても10度」を維持出来るとはとても思えないのです。

サービスレベルが損なわれる状況なら暖房も考えざるを得ないというけど、それだけ寒くなると言うのは電力需要が逼迫している時であって、全くの政治パフォーマンスであると言わざるを得ないのです。

18年が韓国平昌で、22年が北京かアルマトイカザフスタン)という状態で、次が札幌なら三回連続でアジア開催というのは常識的に考えて可能性がかなり薄いというのは素人でも分かるのです。*2

もし、欧米がどこも立候補しなくても、IOCが水面下で立候補要請をするでしょう。
もっと言えば、札幌市は円山動物園アジアゾウに誘致しているというのですが、ゾウ舎の建設に20億円、維持には2000万という莫大なコストがかかります。

これらに金をかける予算があるなら地下街・駅・車両の照明を全部LEDに変えればいいんですよ。案内板を消灯すると言うけど、旭川駅だとか首都圏の鉄道とかは案内板はLEDの薄い物が中心だけど、札幌の地下鉄はまだ蛍光灯を使っている。おまけにサインシステムは全般的に統一感が無くなってきているわけで、これも刷新してLEDにすればいい。


そういう設備投資なんて象や五輪を我慢してでも捻出すべき優先的な予算じゃないんですかね。

 追記:とこき下ろした上田市政なのですが、こういう補助金があって、「これはいいな」とは思います。ただし、いくら「省エネ」と言っても前の冷蔵庫より大型なら結果的に消費電力が増えるケースがあるので、型番を書かせて「より省エネになる」場合のみ至急するのであればなお良いですが。

*1:初稿は怒りにまかせて書いたので「半分近くが地上」と適当に書いたのですが、正確を期すために調べたところ全線(真駒内~麻生)12.1kmの内、地上区間は平岸~真駒内間の4.5kmで比率では37.1%が地上区間に当たります(出典)

*2:筆者は札幌での五輪開催そのものには賛成であります。しかし、名前の売り込みとしても30年大会で立候補して34年が本命というのであればまだしも、26年大会への立候補には疑問であります。

札幌市サンピアザ区で…。

スーパーのエレベーター・エスカレーター拝見。今回は札幌市のサンピアザを訪れてみました。タイトルは開店時のキャッチコピー。

店舗全景

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航空写真やWikipediaの写真と合わせてみたらわかりやすいですが、左の窓のある建物はサンピアザ水族館や北海道銀行が入居しています。

 

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こちらは地下鉄東西線の終着駅ということで、1枚目の青少年科学館や、建設コンサルタント会社ドーコン(今2枚目)の本社ビルがあるなど大阪の千里ニュータウンや仙台の泉中央駅などで見られるような郊外型副都心とニュータウンが形成されています。

店内

 

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ここの吹き抜けは光の広場と言われるところで、1枚目の写真の出入り口から入ってすぐの所にこのようなスペースが存在します。

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 カテプリとはなんぞやと言いますと、かつてここは銀座や難波とともにプランタン百貨店でしたが、ダイエーの経営不振などの影響でカテプリに変更された経緯があります。現在ではイオンモールで言えばさしずめ専門店街的な役割を果たしています。

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エレベーターはあらかた更新済なので写真には撮りませんでしたが、興味があれば「サンピアザ エスカレーター」で検索しましょう(えらい適当な)。エスカレーター・エレベーターともオール三菱ですが、ESは建設時期やなどによっても微妙に違います。ここは光の広場。黒ベルトにストレートボディ。

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カテプリは80年代の増築(だと思う)なので、一世代後。しかし、謎の注意書きが。

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 三菱の丸ボディはダイエー側。しかし、栄枯盛衰を象徴するようなイオンの横断幕が…。

しかし、おそらく北海道のダイエーはこのさきイオン北海道に吸収されてイオン○○店になると思われますが、ここはどうなるのでしょうか?地下鉄直結ですし、売り場面積も下手なイオンモールよりも広い位なので、「イオンモール化」の大規模な改修があるかもしれません。となるとカテプリは…。

おまけ

ダイエーの例によらずこちらにはドムドムがあったのですが、今年8月で閉店の憂き目にあってしました。(記憶と実際は別の所だったので跡地は取材できず)で、こちらのお店が札幌に唯一残ったドムドムです。

 

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生鮮市場という名前のスーパーですが、こちらはかつてJR北海道との合弁のJRダイエーというスーパーでした。現在でもJRの子会社ですが、ダイエーは資本から完全に引き上げております。

 

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すこし、湿気ったドムドムの味を堪能させていただきました。なお、地下鉄の駅から600mとやや離れておりますのでご注意を。

確かに「地方創世」は手遅れかも知れないね。

お前はアホか。

めずらしくはてブが「都会のエゴだよ」という論調が強く、一方Twitterは「そうだその通りだ」という論調が強いのですが、それはさておき。


「地方の鉄道は観光でしか生き残れない。観光活用ができなければ死ぬしかない」と仰るが「旧駅舎が破壊された駅」としてあげられる愛媛県松山市土橋駅伊予鉄道の駅である、ここはVVVF*1を積極的に投入し、地方とは思えない高水準のサービスを提供し、好調な業績を維持する伊予鉄に「観光しか無い」と断言するのはもはや地方鉄道への侮辱であろう。*2


そもそも地図を見たらこの土橋駅の周囲は彼が考えているであろう「田舎」とはかけ離れた松山市の中心部である松山市駅の隣駅という人口50万人を超える街という「都会」なのだし、ギリギリ東京の通勤圏にある雀宮駅と、新幹線や高架事業のために立て替えられた野脇田・新伊勢崎両駅なども破壊された駅として扱うなどそもそも駅名で検索しているのか甚だ怪しい。

そして、台湾を「箱根登山や江ノ電のように観光路線化に転換に成功した路線だ」と称揚しているが、台湾に駅舎の建て替え例が存在しないのか、どれだけの観光客収入があるのかが全くない印象論であるし、江ノ電にしろ箱根登山にしろ観光鉄道として成り立っているのは膨大な首都圏の人口に支えられてのことだし、そもそも江ノ電が単線鉄道の限界である終日12分ネットダイヤなんてものが実現しているのは地元利用の需要が馬鹿にならない証左であろう。

日本では1960年代以降、政治家と官僚と土建屋が結託して大型公共事業が全国規模で行われた。美しい山河の表面はコンクリートで埋め尽くされた。伝統集落の点在する田畑には新幹線駅や高速道路のインターチェンジ原発が作られ・・・それでも残された情緒のある地方は寅さんのロケ地になったり、国鉄の「ディスカバージャパン」キャンペーンなどでちやほやされた。しかし、そういうものも、バブル期の開発でほとんどが失われた

石油化学コンビナートなら良いのだろうか?風力発電所やメガソーラーなら良いのだろうか?全部「美しい山河の表面」に建てられた物である。そもそも鉄道の開業自体が開発行為であるし、田畑も人が常に手を加え続けている意味においては「工場」と変わりないものである。

あえて強調したい。地方創生は手遅れなのだ。理由は土建屋利権政治がすでに地方を破壊しつくしているからだ。

しかし、反論する気も失せてくるような○○ガーのオンパレードだが、これだけは言いたい。確かに地方創世を手遅れかもしれないが、それは土建屋のせいではなく、土建屋・政治家VS市民というマスコミですら手垢がついてかつてほど報じなくなりつつあるような勧善懲悪の世界観に落とし込むような輩のせいであろうと。*3*4

*1:ただし京王3000系の中古車を購入して改造

*2:もっとも伊予鉄には坊っちゃん列車という観光用の車両があるのだが

*3:そもそも公共事業を徹底的にこき下ろす論調であるが、やり玉に挙げられた駅のうちどれだけの駅が公共事業として整備された物か甚だ怪しい

*4:「建て替えるにしても伝統的な工法で駅を作るべき」とかいう意見も見たが、公共事業バッシングと財政難で最低限の予算で最大限の効果を上げざるを得ない以上はプレハブ作りの画一的な建物が選択されるのは必要悪であろうと考えている。

他者との競い合いと物語

この話の元ネタはrikio0505さんが発見したことの受け売りなのですが、京アニって成長物をやるくせに他者と競うことを徹底的に避けて、代わりに、トラウマや自分を変えたいという、内面での競い合いとも言うべきモチーフを多用する印象があるけど、そんなに他者と競う事が嫌なのかなあと思うことがあるように思います。

主人公に目的があって達成までを描くような一般的な作品なら、原則的にはライバルを出さなければならない。例えば古典的な物語の構造を分析しても物語が敵が必ず出てきて、連れ去ったお姫様を取り返すというのが典型的だったりする。

連れ去った物を取り返すというプロセスは「欠乏した状態」から「満たされた状態にする」。例えば「物事を解決する(欠乏)には○○を手に入れたり、○○の状態にしなければならない(満たされた状態)」って言うとありがちなパターンに見えてくるけど、そこには大抵はライバルという存在があるよね。

欠乏した状態を満たすためのプロセスを全て内面の問題に帰結することは理論上は可能だとは思うけど、個人的にはあんまり見ないし、あってもそれは王道じゃないと思う。

つまるところは、物語というのは、何かが欠けて目標を与えられた主人公が敵やライバルと競い合うことで満たされた状態に持って行くことだと言えると思う。

ここまで書いたことは、主人公に目的があるドラマ(ストーリードラマという)の話。今まで言ってることが当てはまらない作品というものもある。それがレギュラードラマ。

お話によってテーマや目的もバラバラな1話完結で登場人物はストーリーの節目でなければ基本的に成長しない。ようするにサザエさん方式なのだけど、主人公に目的も成長も無いから、敵やライバルなんて居ても居なくてもいい。

美味しんぼなんて昔は海原雄山は敵だったけど、いまじゃ親子揃って福島で鼻血ブー大会だし、きらら系の日常系にライバルがいる作品の方が少ないよね。

競い合うことを否定するならレギュラードラマをやるほうが向いていると思うのに、やらないのは何かトラウマでもあるのかなと思う次第。

 

コストを負担したがらない日本人とセコい政治

教育改革の話があると何かにつけて批判されるが、今の大学の問題点は「金が無い」ことに尽きるのでは無いかと。更に言えば、日本人って重要な事を理解しても、それにコストをかけたがらないよなあ。障害報告@webry/ウェブリブログさんが常々仰っているセコい政府論にも似た話なのだけど。

例えば企業に源泉徴収では徴税コストを負担させることで、政府は少ない手間で効率良く税金を集める事が出来る。また企業の社宅が政府の公的住宅制度の肩代わりをし、終身雇用が雇用保険などの代用となっている。
また司法だと、起訴便宜主義では、検察官の裁量で大幅に裁判コストを低減している。
このように、小さな政府の最低限の公的コストで、大きな政府に類似したサービスを提供しているのである。ただし類似であるので、公正さやカバー率の観点では課題を抱えている。

結局の所、内部補填で最小化されて一見コスト負担と分からない形でどんぶり勘定で負担をすることに馴れすぎていて、税金や寄付のようなコスト負担がそのまま来て、ある程度見える化された負担という真逆の概念に馴れていないんじゃないのかなと。

先日の『カンブリア宮殿』で理想の学校を作る元ユニセフ職員の女性の話をだったのだけど、彼女の話にほぼ例外なく「素晴らしい理念」だと賛意を示すけど、じゃあ実際に寄付をするかと言われたら断られるどころか寄付金詐欺扱いされたという話があった。

右も左も具体的なカリキュラムはさておき「教育は国の礎」という理念を異口同音に口にするけど、じゃあ充分な資本投下が出来ているのかと言われたら甚だ疑問なのです。

「年間一兆円オーダーで社会保障費が増えてるから、教育に予算を投下できない。年寄に若者の未来が殺される」というけど、寄附金控除制度があって、年々拡大の一途を辿っているわけで、それしないのって、「どういう学校があって、どういう研究や教育をしてるか」を調べる時間的コストを払いたくないからなのではないか。

同じ事は消費税にも言える。経済成長が必要という意見は大賛成だし、成長したら税収増も見込めるというのも分かるし、今増税はナンセンスというのも理解するのだけど、どこかしら本来負担すべきコストを負担したくないって狡い考えがどこかに透けて見える人も多いように思える。

アメリカの場合では、スポーツスタジアム建設のために増税という手段が取られることがあるのだけど、日本ならスタジアムじゃなくても地方税制の独自性云々を除いてもまず考えられない手段であろう。

そもそも、我が国においては国債という「国民の財産からの借金」という手段を多用されるが、民間が借金をしないからという以上に国民負担の矮小化と見えない化という効果があるように思える。

だけど、必要な物に必要なコストを払わないというのは精神論の温床そのものだし、本当に成熟した豊かな国になんかなり得ないのである。内部補填によるセコいコスト負担を既に我々は否定しているという現実を直視すべきでは無いか。

熊谷千葉市長と理性の政治

素で「あんた総理大臣やってくれよ」とモニターの前で口に出して懇願しましたよ。エネルギー問題だけなら「こんにちはプーチン同志」と毒づきたくもなるのですが、これを言える政治家がどれくらいあるのか。

とはいえ、彼が国政に復帰しても日本にしてはあまりに異質な政治家で居場所はないんでしょうねえ。本当にこの国の政治風土は腐っている。でも、これが西欧では本当の「リベラル」な政治家だと思うのです。

私の回りのネットの世論のメインストームって観測範囲のうちでは、感情を政治に持ち込むことを否定して、科学を前提に富の再分配や人権に積極的な古き良き民社党的な「西欧的リベラル」だと思うんだけど、これはもうリアルではこういう「強い考え」を持てる人ってのは殆ど無い。せいぜい10%あるかないかくらいのオーダーの希少な意見だと思うのです。

おそらく、知識層も左派と呼ばれる人を中心にかなりの人が「情治」論者なのです。我が国の左右対立というのは他の国とは違って、感情論を政治に持ち込むことを是とするか否とするかという、統治の初歩の初歩の段階での対立なのです。

彼が国政で活躍するとしたら自民党で「左派政治家」になるしかないのでしょうが、彼の性格からしてそうなることはあり得ないですし、世論の大半は感情を政治に持ち込むことに何ら抵抗がない以上は政治は感情論に引っ張られざるを得ない。

もちろん、感情論を完全に排除することは人間である以上は不可能なのですが、もう少し感情論と政治は水と油ということを理解してくれないのかといつも思います。

こんな状態じゃいつまでも政治三流だよ。