他者との競い合いと物語

この話の元ネタはrikio0505さんが発見したことの受け売りなのですが、京アニって成長物をやるくせに他者と競うことを徹底的に避けて、代わりに、トラウマや自分を変えたいという、内面での競い合いとも言うべきモチーフを多用する印象があるけど、そんなに他者と競う事が嫌なのかなあと思うことがあるように思います。

主人公に目的があって達成までを描くような一般的な作品なら、原則的にはライバルを出さなければならない。例えば古典的な物語の構造を分析しても物語が敵が必ず出てきて、連れ去ったお姫様を取り返すというのが典型的だったりする。

連れ去った物を取り返すというプロセスは「欠乏した状態」から「満たされた状態にする」。例えば「物事を解決する(欠乏)には○○を手に入れたり、○○の状態にしなければならない(満たされた状態)」って言うとありがちなパターンに見えてくるけど、そこには大抵はライバルという存在があるよね。

欠乏した状態を満たすためのプロセスを全て内面の問題に帰結することは理論上は可能だとは思うけど、個人的にはあんまり見ないし、あってもそれは王道じゃないと思う。

つまるところは、物語というのは、何かが欠けて目標を与えられた主人公が敵やライバルと競い合うことで満たされた状態に持って行くことだと言えると思う。

ここまで書いたことは、主人公に目的があるドラマ(ストーリードラマという)の話。今まで言ってることが当てはまらない作品というものもある。それがレギュラードラマ。

お話によってテーマや目的もバラバラな1話完結で登場人物はストーリーの節目でなければ基本的に成長しない。ようするにサザエさん方式なのだけど、主人公に目的も成長も無いから、敵やライバルなんて居ても居なくてもいい。

美味しんぼなんて昔は海原雄山は敵だったけど、いまじゃ親子揃って福島で鼻血ブー大会だし、きらら系の日常系にライバルがいる作品の方が少ないよね。

競い合うことを否定するならレギュラードラマをやるほうが向いていると思うのに、やらないのは何かトラウマでもあるのかなと思う次第。