南極観測から自衛隊が撤退するかもしれない話

 産経新聞によると海上自衛隊南極観測船しらせの運用から撤退したがっているようで、というかこの原稿を書いてる時点では産経しか報じておらず飛ばしの可能性も捨てきれないのですが、理由としては「背景には海自の深刻な人手不足がある。日本周辺や南シナ海などで任務が増え続ける一方、昨年3月時点の隊員数は定員の93.2%にとどまる」(産経)とのことです。

 

重要なポイントとしては、

  1. 現在の南極観測の予算は文教費から出ている
  2. 南極観測自体は今後も継続する
    という二点に注意してこのニュースを解説しましょう。

そもそもなぜ自衛隊が南極観測

では、そもそも論としてなぜ自衛隊が南極観測を行っているのでしょうか?国立極地研究所によると以下の記述があります。

船の運航とヘリコプターの運用ができる人員を、継続して確保できる組織として、海上自衛隊となりました 
https://www.nipr.ac.jp/science-museum/qa/etc.html

ここからは私の推測なのですが、時代をさかのぼり昭和30年代の南極観測というのはまさに国民の誰が関心を抱く国家プロジェクトであり、ただの研究者の研究だけにとどまらない冒険そのものでした。

軍隊や自衛隊というのは自己管理能力が高いですし、軍人は訓練され精神的・肉体的にタフネスであると考えられています。実際に初期の宇宙飛行は米ソともに大半が現役軍人でした。

自衛隊にも協力したい事情

また、自衛隊としても南極観測に是が非でも協力したい事情というものがありました。自衛隊法には以下の記述があります。

(運動競技会に対する協力)
第百条の三 防衛大臣は、関係機関から依頼があつた場合には、自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において、国際的若しくは全国的規模又はこれらに準ずる規模で開催される政令で定める運動競技会の運営につき、政令で定めるところにより、役務の提供その他必要な協力を行なうことができる。
(南極地域観測に対する協力)
第百条の四 自衛隊は、防衛大臣の命を受け、国が行なう南極地域における科学的調査について、政令で定める輸送その他の協力を行なう。
国賓等の輸送)
第百条の五 防衛大臣は、国の機関から依頼があつた場合には、自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において、航空機による国賓内閣総理大臣その他政令で定める者(次項において「国賓等」という。)の輸送を行うことができる。
2 自衛隊は、国賓等の輸送の用に主として供するための航空機を保有することができる。

「国際的若しくは全国的規模又はこれらに準ずる規模で開催される政令で定める運動競技会」というのは具体的には国体・オリンピック・パラリンピックラグビーワールドカップサッカーワールドカップなどが対象ですが、「100条の5 国賓等の輸送」や「100条の3 運動競技会の協力にある自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度においてという文言が「100条の4 南極地域観測の協力」にはないことに気が付かされます。つまり、自衛隊法の上では五輪の協力よりも優先度が高いと解釈することもできるのです。

これはどういうことかというと、阪神大震災まで国民が自衛隊に向ける目はどこか後ろ暗いものがあり、是が非でもイメージを向上し、隊員の士気を上げるような施策として、国民的関心事だった南極観測を利用したのでしょう。昭和30年代当時はまさにWin-Winの関係であったといえるでしょう。

南極観測の今後は

 自衛隊は「本業」である、防衛任務や災害派遣の頻度が増しております。また、このニュースを見て反安倍派の人が「日本が南極観測をやめる」とか「防衛予算で南極観測が行われている」と早合点して批判したり、自衛隊によるしらせの運用の継続を主張していましたが、先ほど挙げたように南極観測は文教予算から支出しております。

 こうした早合点は皮肉にも南極観測への関心の低下と、自衛隊の地位が向上し自衛隊が観測に協力する意味合いが薄れていることを証明しています。

 しらせが現在の「軍艦」から例えば「海洋研究開発機構の船」になれば自衛官OBや民間委託などの人材確保に柔軟性が増す可能性も高くなります。

もっと南極に関心を

 しかし、南極観測への関心が薄れ続けると、南極観測自体の継続性が危うくなってくるのも事実です。スポーツにしろ科学にしろ、結果があったり政権を批判するときだけしか興味をもたれないということが往々にしてありますが、財政民主主義という言葉がありますが、税金から支出する以上は国民が常に科学技術の進歩に関心を持たないと支出する動機が無くなってしまうのです。

マイナースポーツとされるスポーツの選手が異口同音に「五輪でメダルを取っただけしか注目されない」と嘆かれていますが、文教分野というのは華やかな結果だけが注目されやすいですが、その背後には幾千万の失敗の屍の上に成り立っているのです。成功のみを消費し、それに満足するのはするのは政策のクリームスキミングであり、進歩の後退ではないでしょうか?