なぜ野党は見たらモリカケや桜を見る会に情熱を注げるのか

 なぜ、野党(支持者)はモリカケや桜をみる会があれだけ熱を注げるのかと言えば、野党は実は平和でも社会主義でも死刑が無く同性愛者同士が結婚できるリベラルな社会でも無く、「クリーンな政治」の実現こそが最重要テーマなのではないかと考えるようになってきました。

 なんで桜やモリカケであれだけ騒げるの?って見る人が見たら不思議なのですが、彼らから見たらあれらの問題は「クリーンな政治」に反してるとみなしているわけで国家の浮沈が掛かる最重要問題とみなしてるのだ

戦後の野党の存在意義は自民党の腐敗が明らかになると野党への票が伸びたように政治腐敗へのへのアンチテーゼという時期が長く続いた。

 そうした中で世論の切実な希望もあり、また政権交代の可能性もないことから、政策論よりも腐敗の追及は野党の中でも大きなウェイトをしめるようになっていったのでは無いか。実際、地方自治体で革新首長が誕生したのは公害や政治腐敗へのアンチテーゼが最大の要因であろう。

 そうしてみると、なんちゃらオンブズマンが公共事業を叩くのも軍事を叩くのも原発を叩くのも全てが「政官財はみんな多額の賄賂をもらっている。だから○○を撲滅すれば『クリーンな政治』になるんだ」という消失点に集約されるからであろう。

 しかし、時代が過ぎ、今じゃ数千円の会費がどうのこうのなんてショボい単位の汚職でしかなくなり、彼ら好みの軍産複合体が動いてピーナツを数えるように数百万の札束が動くなんて陰謀ことは無くなってしまった。

 また、民主党が政権を取るようになって、「お前らも人のことを言えないじゃないか」と言うほどの醜態が続いた。

 なにより、ここ数年「日本貧国化論」が賑わせているが、本当にそうだとすればクリーンな政治よりも多少汚れていても大衆を富ませる政治が支持されるようになるのです。

 実際、政治が腐敗してても、世論に札束を握らせて黙らせる政権はいくらでもある。そこで明るみになる汚職は権力闘争のネタに過ぎない。

第一、安倍政権なんて「鵺」を産み出したのはそれこそ田中金権政治批判から続く「クリーンな政治」を希求する世の中が産み出した「鵺」であり、「政治改革」に明け暮れて、経済に対して無為無策のまま過ごしてきた時間と損失は余りに膨大であったが、そのことへの総括は何も聞かれない。

もっとも、クリーンな政治第一と考える人と、経世済民を重んじる人とでは、政治腐敗は「青酸」か、「なあに、かえって免疫力がつく」程度の認識しかないだろうが、いずれにせよ、安倍政権を認められないとする人は「クリーンな政治」のための歩みは失敗であると認識するしかないのである。

 少なくとも、今のような「クリーンな政治」を追求する路線で行くのであれば野党連合は、例えば議事録や政策の意志決定プロセスを全て公開し、専門の司書を雇い文書を永久に保存し、全ての支出をリアルタイムで公開する必要があろう。

 今のまま「安倍はダメ」という姿勢ではもう野党は見切られているのである。かつては敵矢があれば責めれば勝手に票が伸びたのだろうが、今の有権者は目が肥えている。老い先短い先鋭化した支持層のつなぎ止めに拘泥していては未来がない。

 じつは時間が無いのは野党自身と言うことを肝に銘じて欲しいけどまあ、無理だろうなと半ば諦めている次第である。