【書評】石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門

 

 読んだ。著者は資源畑を歩んだ元商社マンで、おもに石油と天然ガスに主眼を置いてその事情の基礎を語る本である。エネルギークラスタとして既知のことも多いが、いろいろハッとさせられることも多い。

石油は戦略物資か?

石油は戦略物資という見方がされている。
しかし、その一方で先物取引などを通じ多くの投資家や企業が取引に参加するコモディティ商品でもある。

著者は石油について、輸送が困難でガス田の近隣でパイプラインとして消費するのが最も有利な天然ガス、自国でほぼ消費される石炭、他資源と全く別の安全保障の枠組みで考えられてるウランと比べ用意に輸送でき、6割が国際貿易で取引されるにも関わらず、資源が中東やアフリカに偏在している石油は「平時では商品であっても非常時には戦略物資である」と指摘している。

非常時に戦略物資となる石油を確保するために長期的観点から官民を挙げて石油開発に取り組む必要があると指摘している。

これは私も大変に同感である。昔はメジャーにオイルショック以後はOPECに牛耳られてきたとはいえ、脱中東依存や日の丸油田*1というものが喧伝されているが、例えば「非中東で開発された日の丸油田」は日本の石油消費なかできわめて小さい。

これは上流部門と呼ばれる石油開発部門の日本の存在感はきわめて弱いことも一因としてあるだろう。

しかし、上流部門を強化するにも日本は余りに人材が不足している。今や大学で「資源」を学部に関する学校は秋田大学程度であり、シェール開発の続くアメリカとは石油開発に関する人材を育てるシステムが雲泥の差であると著者は指摘する。

原子力関係の学部が学生不足や原子力外しに動いていることを懸念する声が多いが、石油資源開発の分野でも同じ事が言えるのである。

豊富なストックによって支えられるシェール革命

また、アメリカの豊富な人材はシェール開発を育てる地盤の一つである。アメリカの石油産業を考えるのに欠かせないのはサブコントラクター(サブコン)と呼ばれる石油開発サービス会社である。探鉱から販売に至るまで細分化された多くの業者が存在し、能力さえあれば自社に専門家を雇わなくても石油開発が可能となっている。

もちろん人材だけではない。国家の隅々まで膨大なパイプラインが張り巡らされ、入札手続きを取ればどの業者でも自由に使える。

さらに普通は国家に属する鉱業権が土地の所有者に属し、鉱業*2の活発な売買が行われている。

こうした環境はアメリカ人の国民性も相まって石油で一山当てる山師を多く生み出した。

さらにシェールの掘削には水が欠かせず、水資源も豊富に備わっている、こうした好循環の積み重ねで初めてシェール革命が起こったのである。

シェール自体は世界中に遍在しているが、アメリカ以外の国は何かしら普及を阻害する要因があり、なかなか他国でシェール開発は進まないと著者は指摘している。

代替の効かない資源と本質を見ない議論

さて、この著書で私がもっともハッとさせられたのは、「代替不能な石炭と石油」という記述である。これはどういうことかというと、輸送分野は石油、鉄鋼分野は石炭に依存し、その代替が不可能と言うことなのである。もちろん輸送分野は水素自動車や電気自動車、鉄鋼分野は高圧ガス炉を使った原子力製鉄が研究されているが、いずれも従来の石油や石炭を脅かす物ではない。

更に言えば、これらの分野は使用エネルギーでも無視できないのである。輸送分野のシェアが大きいことは多くの人は想像が付くと思うが、23.3%にも達する。これは電気の24%に匹敵し、鉄鋼に至っては国内に15カ所しかない銑鋼一貫製鉄所を中心に11.2%も消費している。

しかし、エネルギーの議論は世論どころか国ですら電力政策と完全に同一視されていると著者は指摘している。

昔も今もこれからも「石油の一滴は血の一滴」

著者はまるで「電力供給計画」のようにとなっている国のエネルギー計画に違和感を抱き、如何に石油などの一次エネルギーを確保するかが重要であるという指摘している。

考えるに、輸送を軽視する傾向が日本の悪しき伝統であるが、石油がなくなれば少なくともラストワンマイルは人力か動物の力に寄るしか輸送は不可能になってしまう。

原子力発電所ウランも運べなくなる。停電しても電線やら工具やらを積んだリアカーを使わない限り修理できないだろう。野菜も物資も運べない。そうなったら現代生活は崩壊する。

現時点では「自動車には石油しかない」という図式が変わらない以上はもっとも重要視するエネルギーは石油であると私は考える。なにより以前も書いたが石油の値段が下がれば全てのエネルギーの値段は下がるのである。

しかし、国のやっていることは、製油所の整理などの石油軽視としか思えない。もちろんガソリンと重油の需要が急減する中では高度化・再編は避けられないが、製油所の分散化などの縮小する中でのエネルギー安保の確保に心血を注いでいるとは思えない。

本来であれば国と元売が共同で日本海側に巨大な製油所を作ったり、パラオだとかフィリピンあたりに建設国と共同で化石燃料の備蓄・中継・気化基地を作りシーレーンの複線化や備蓄の積み増し*3などを進めていくべきではないか。

出光興産の月岡隆社長が2013年の社長就任時の東洋経済のインタビューに答えこのような指摘をしていた。


シェール革命、「むしろ石油に脚光」 | インタビュー | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

ガスは地産地消が安くていちばんだということ。日本はガスをわざわざ液化して運んで、再び気化するので、コストがかさむ。一方、米国がシェールオイルも増産して、中東から原油を輸入しなくなると、中東の原油の行き場はどうなるのか。そのときこそ、日本にとっては運びやすく、貯蔵性も高く、インフラの整っている石油が注目される。そういう局面が来ることが十分考えられる。

初見の時は石油会社の、それも天然ガスへの投資が遅れている*4石油会社のポジショントークと思いつつも、肘を打ったものであるが、この本を読むと月岡氏の指摘は改めて深いものがあると痛感させられる。

エネルギーの議論はネットでさえ、他のエネルギー源に視野を持たない者達の極論言い合い大会となっているが、エネルギーは現実社会そのもので有り多角的な視点に立たないと本質を見抜けないのである。

 

*1:日本の会社が開発した油田のこと

*2:鉱業権のことをアメリカでは「リース」と呼ぶが、リースのバブルが起こっておりシェールの掘削コストの高騰を招いている

*3:著者は少なくとも石油備蓄は2年分、天然ガス備蓄は半年程度が最低限好ましいと考えている

*4:大手元売り会社で国内のLNG気化基地に投資していないのは出光と昭和シェル石油のみ