黒歴史にするには惜しい作品~ルパン三世風魔一族の野望

10月のアニメが余りに不作のせいで、最近配信のルパンを見てるのですが、その流れで黒歴史の風魔の一族にも興味が湧いてレンタルで見てみました。

ギャラの引き下げが原因とも、イメージチェンジのためとも、カリ城当時の山田さんの態度が気に入らなかったスタッフの意趣返しとも言われてますが、声優の交代劇が著しく作品の評判を下げる原因だし、私も古川ルパン?アホか?としか思えなかったんですが、古き良き80年代アニメのテイストという感じで、なかなか面白い作品です。未だにブルーレイが発売されてない作品ですが、これを黒歴史として埋もれるのは実に惜しい。

冒頭いきなりゲストヒロインと五ェ門の結婚が描かれるわけですが、28年後に制作された、4期冒頭のルパンとレベッカの結婚はおそらく本作のオマージュなのではないかと個人的には思うわけです。何せ作監=4期の総監督ですから。

次元が拳銃を使わなかったり、変装が無かったり、不二子にお色気要素がなくてアクティブでお茶目な感じになっていたりとお約束要素が取っ払われてて、80年代の軽いテイストのアニメには古川さんの演技は似合ってるし、新声優陣で五ェ門とルパンが一番良かったです。というか、風魔ルパンは古川さんのはまり役と言っても良いくらいで、おそらく山田さんや栗田さんがルパンを演じていたらそもそもならこの作品のノリは出せなかったのではないかとすら思えます。

当時のルパンはアニメージュのアニメグランプリの歴代ベストワンキャラクター(男性キャラ)部門で6~10回まで選ばれており、ちょうど今で言えば、SEEDとかギアスの続編が継続的に作られて、ある日続編で「若手に替えます。声優には断ってません」と言うような物でそりゃ火薬庫に花火を持って入るようなものなので、それが作品の評価を下げたのは返す返すも残念。

これが成功してたら、割と柔軟に007のように声優を替えていたんでしょうね。この件がトラウマになって、5年前の声優交替でもクリカンさんとコバキヨさんを残したり、ルパン制作陣は声優の交替にかなり臆病になったように思えるのですが。

近頃のアニメの主流は、実在の背景の再現で日伊合作の4期もイタリアの風景を忠実に再現してた(と思うし)、風魔路線を継承したアニメを水島努監督辺りで逆転裁判タイムボカンをやってる土曜5時半くらいに放送したら普通に楽しめるのでは無いでしょうか。

 

五輪のデザインの混乱を巡る雑感

五輪のデザインを巡って混乱が続いています。


佐野氏のデザインを擁護したら「デザイナー村」の工作員認定され、擁護意見を言えないような空気が蔓延し、ともすれば「悪魔の証明」やら「推定有罪」の欠席裁判が横行する現状はまるで原発事故後のエネルギー業界みたいな状況です。原発事故の時には電力会社側を擁護していたのに、今回の案件では魔女狩りをする側になる例が散見されるのは、人間の業の深さを感じざるを得ません。

それはさておき、この問題の発端は、盗作疑惑やら建設費に対する公憤よりも、「このデザインが嫌い」という素朴な感情が発端になっているように思えてなりませんが、国立競技場もエンブレムもどちらも、専門家による泥のなすりつけあいがなされ、専門性の高い分野に庶民感覚なる暴君が入り込み混乱の渦に巻き込み、結果その業界を不幸に貶める自体という点では酷似しております。

このような状況が続くことは誰も幸せにはしません。悪いのは舛添だという人がおりましたが、それなら森喜朗氏は組織委員会の会長なので、遙かに責任がある立場なのにエンブレム問題は何も発言しておりません。おそらくは、これ以上混乱が続いたらまた鶴の一声でエンブレムを撤回されるおつもりなのでしょう。

仮に森さんが撤回すれば「森さんの英断」として森さんの株は上がるでしょうが、1人のデザイナーのキャリアは間違いなくそこで終了しますし、自殺でもされたらそれこそ五輪への汚点です。私はデザインに関するJSCやら文科省の設定ミスがこの問題の発端なのではないかと考えております。

前衛的なデザインのコンテストではなく、全国民がステークホルダーとなるデザインに求められることは全ての国民に愛されるまでは行かなくても、全ての国民が納得する堅実なデザイン、どこからも文句が言われないデザイン。誤解を恐れずに言えば陳腐なデザインとも言えるでしょう。

国立競技場だって最初からゼネコンに任せたり、エンブレムもあまたの一流企業のロゴを手がける企業に任せていれば、彼らはツボやノウハウを抑えており前衛的な物は出来ていなくても、国民の大多数が納得するデザインを作ることは可能だったでしょう。

日建設計執行役員の山梨知彦さんによると大型建築の設計において依頼主からは「デザインなんか間違っても凝らないでね。機能が満たされていれば良い」と言われ、いざ出来たら「デザインがないとつまらない」と言われる方が珍しくないのだという。だからこそ「デザインをしたたかに密やかに仕込む」の有能な建築家の条件なのだといいます。

まさにこれはデザインの世界全てに言えることではなのではないのでしょうか?デザインを前面に押し出すと叩かれるが、押し出さない本当に陳腐なデザインはつまらないと言われる。その微妙なさじ加減を文科省は誤ったように思います。

思えば、「選手村を水素エネルギーで」とか言ったり、国立競技場も多少難しくても日本の技術で実現をという話が合ったほどで、あくまでもスポーツの祭典であるはずの五輪が日本の技術や才能をアピールする場と文科省は考えてるとすればそれはとんでもない思い違いではないのでしょうか?

水素技術とデザインをアピールしたいなら仙台で万博の認定博をやればいい話で、野心を起こさずスポーツの祭典に徹することこそがアスリートファーストなのではないでしょうか?

同性婚と同性愛に関する違和感

昨今話題になっている。同性愛問題。同性婚が認められるなら認めても良いとは思うのですが、その一方でどうにもいろいろな違和感があります。

その一つはさまざまな恋愛が出来ない人への配慮の無さ

人権活動家は「多様な価値観を」というけどそういう人間に限ってその本心は実に狭量だったりするのですが、要するに人権活動家の考える世の中は、「性的指向に限らず全ての人が恋愛をして、その延長線で結婚をする社会」であり「全ての人が恋愛が出来る」という前提だと私は感じています。

その証拠に、「LBGT」と言いますけど、性欲や恋愛感情がないという人も性的少数者として扱われていますけど、彼らや彼女らのことはわずかに触れられている程度で、異性か両性かの違いこそあれど「恋愛は出来る」と言うことが前提になっているのです。

もっとも「L・B・G・T以外を軽視している」という批判があるのでLGBTsと言おうとか言う声もありますけど、同性愛への理解がない中高年層は横文字が苦手なんだし、「LGBTとは云々」とわざわざ説明をしないまでも、文字だけで大方の意味合いがわかる「性的少数者」じゃだめなのかとも思いますが、あの人達にはあの人達の都合ってものがあるのでしょう多分。

実際半分嘲笑されつつも、非モテだの恋愛できない人だのがクローズアップされたり、一生独身という人がこれだけ話題になっていますが、そういう人達は何故結婚しない(あるいはできない)のか。
もちろんそこには様々な事情があるでしょうが、恋愛には資本とスキルが必要で、それらが不足しているから恋愛が出来ない。恋愛が出来ないから結婚できないという人も少なからず居るはずだし、それには性的指向は関係ないはずです。

話題から逸れますが、そもそも「結婚は恋愛の延長線」というのもおかしな話で、以前雑誌でガンダムシリーズ富野由悠季監督が「結婚の意味がわからない」という投稿者に「結婚は恋愛のためにするのではなく、生活のためにするのだ。もし恋愛のためなら、昔のように親や家や生活の都合で結婚した人は全て不幸になっているはずだ」という回答をしていたことを思い出しますが、同性愛者に結婚をというなら同性愛者は恋愛結婚のみという前提辞退が差別的な話であり、お見合いのインフラも整備する必要があるのではないでしょうか。

まあ、いずれにしろ恋愛できない人(それどころか人口そのものが減っていますが)がこれだけ増えている世の中で「積極的に恋愛をする人」と見做されている人が数百万人オーダーで追加されるというのはそう滅多にないことで、恋愛をダシに商売をしている人には千載一遇のチャンスでしょう。

実際、「日本のLGBT人口」は「5%」とも「7%」とも言われていますが、それらの調査はなんと広告代理店の電通がしていますし、ビジネス雑誌では「解放されるLGBT市場」とまるで独裁者が倒れて、市場の改革開放が進むミャンマーのような発展途上国みたいなノリで紹介されています。

恋愛が出来ない人から見たら、同性愛の理解が進んだところで恋愛が出来る人という多数派が今さら追加されるだけに過ぎないのです。

更に言えば、同性婚の理由として「パートナーが事故や急病で意識不明になったり、死んでも一般人として参列しなければならないから同性婚が必要」と主張されていますが、それって「年を取らない事が前提」になっているように思えます。

もちろんそうしたリスクがあることは承知ですが多数の人は、老親の介護→自らの老い→老老介護→先立たれるというプロセスを経ることになるでしょうが、そうした老いへの備えというものを余りに軽視しているように思えてならないのです。

今の日本では同性愛カップルは養子には取れないし、認められたとしても圧倒的な売り手市場なので、「政治的あるいは社会的に望ましい」夫婦ですら養子に取れない実情がありますし、パートナー間で遺産を継承できても「遺産は最後は誰に継承するのか」というのが問題が重くのしかかっているのです。

だからするなという意味ではありませんが、老いや遺産問題は骨肉の争いになりやすいのに、どこまで真剣に考えてるのかが疑問なのです。

結局、同性婚はゴールではなくスタートでにすぎないという意識が余りに希薄に思います。

報知から出された新国立競技場見直し案は新たな利権の匂い

headlines.yahoo.co.jp

2020年東京五輪パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場(8万人収容、東京都新宿区)の建設費を抑えるなどした新たな建設計画案が民間会社から文科省などに提出されたことが14日、分かった。政府関係者が明らかにした。計画案では、座席の大部分を仮設席として建設し五輪終了後に座席数を削減するなど合理性を重視した建築方式。現行案での着工予定は10月だが政府内では、この計画を支持する声が広がっており今後、新計画案が採用される可能性が浮上してきた。

 新国立競技場の建設費を抑制するなどした新たな計画案は、民間会社から文科省複数の閣僚経験者、自民党幹部らに提出された。中身は競技場のイラスト、運営費の試算など具体的な内容で政府関係者はスポーツ報知の取材に「現行案からの大幅な変更となるが、問題山積みの現状を打開するには、この計画しかないと思う」と明言。「メイン会場の建設方法を変更する場合、国際オリンピック委員会(IOC)への説明や大きな政治決断が必要になる」とも述べた。

 新国立競技場文科省の外郭団体、日本スポーツ振興センター(JSC)が建設・運営を行う。現行案の新国立競技場は屋根部分の建設に高い技術が必要となり、資材の高騰などを受け、建設費は一時3000億円とされた。識者らから批判を受け、競技場の大きさなどを2割削減。現在は1692億円から2100億円と試算している。また、年間の運営コストについてもJSCは「約3億円の黒字」としているが、複数の政府関係者は「現行案のままでは、五輪後数年で赤字になる」と指摘。東京五輪の前後は“特需”で数億円の黒字になる可能性はあるものの、年間維持費の40億円がネックとなり、20億円以上の赤字が継続する可能性があると試算した。

 こうした状況を改善するために民間から新たな建設計画が提出された。この計画案によると、新国立競技場の収容人員8万人のうち、5万5000人分を仮設席として建設する。また、現行案では行われる屋根の開閉はやめて、客席部分のみを覆う形で設置するなど建設費用を削減する。東京五輪終了後には、この仮設席を撤去して別の競技場に再利用する。現行案の工期は約42か月となっているが、新計画案では約30か月で大幅に短縮される。

 仮設部分を撤去した新国立競技場は、約350億円をかけて5万人規模となるように座席を増築。その後、収益性の高い様々なスポーツなどのスタジアムとして活用する。競技場単体の建設費は、約600億円と現行案の約3分の1となり、運営費の削減も可能となる。増築費と合わせても約950億円で2100億円とされる現行案より1000億円以上もスリム化される。

 国立競技場は昨年12月から解体工事を行い、今月11日に地上の構造物などが完全に撤去された。現行案のままで建設するのか、今回提出された新計画案を採用するかは今夏をメドに最終計画案をまとめる見通しで10月からの着工を目指す。JSCは新国立競技場の現状について「建設計画を進めている段階。最終案を出すかどうかはまだ決まっていない」と説明した。

 


反ザハ案派にとってはこれは一発逆転のホームランともとれる内容で、反ザハ派とも言う人達の間では盛り上がってるのですが、細かなディテールが怪しいのです。今まで報知新聞しか報じられていないというのがまず怪しい点で、次に「競技場のイラスト、運営費の試算など具体的な内容」を出す「民間会社」というのは限られてくるはずですし、具体的なコンサルをするには相応のお金がかかってるはずです、一体このプランを誰が発注して、お金がどこから来てるのかが甚だ怪しいのです。

(追記)その後の報道で、仮設で8万人・常設は5万人、可動式屋根は五輪に設置など報知の報道と一致する報道が相次いでおり、2015/05/18時点では上記の報知新聞の案は事実であると判断いたしました。それを踏まえ下記をお読みください。

 

そもそも仮説といっても2週間だけ使えれば良いものじゃなく、ラグビーWCにも必要で8万人規模のスタジアムが必要で、一年程度存置して耐えうる強度が必要か、あるいはその都度ビディ足場の観客席を組む必要があるわけだし、JSCも妥協するにしても8万人スタジアムは妥協しないところだろうし、そもそもこの種の話を磯崎新が真っ先にキャッチしそうだし、いろいろ現実味が無いなと思っていたら、次の日にこのような続報が。

 

headlines.yahoo.co.jp

 2020年東京五輪パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場(8万人収容、東京都新宿区)で民間会社が文科省などに提出した建設費を抑制する新たな計画案に、五輪後に野球あるいはサッカーの専用スタジアムに改修する運営方法が盛り込まれていることが15日、分かった。政府関係者が明らかにした。計画案はすでに政府、文科省に提出され、検討が始まっている。現行案では、五輪後に野球を開催するプランはなく、新計画案が採用されれば、20年以降に新国立競技場プロ野球の開催も視野に入る。

 新計画案で示された運営方法によると、東京五輪後に新国立競技場の座席を大幅に削減し、5万人規模に改修する。その後、収益性の高いプロ野球、あるいはサッカーのいずれかの専用スタジアムとして使用する。

 五輪のメインスタジアムが特定のプロスポーツ専用スタジアムになった例では1996年のアトランタ五輪がある。大会後に大リーグ、アトランタ・ブレーブスの本拠地となり現在も使用されている。今回、提出された計画案もアトランタをモデルにしており、利用率を上げることで継続した黒字化を図り、建築費の回収も可能と試算している。政府関係者は「専用スタジアムとすることで、健全な収益構造を構築できる」と分析している。

 新国立競技場の建設・運営を行う日本スポーツ振興センター(JSC)が昨年8月にまとめた現行案では、五輪後もプロチームの本拠地とはしない方針で、サッカー日本代表戦やコンサートなどを行うとしている。一方で新計画案では、野球、サッカーの2大スポーツは年間を通じて定期的に試合が行われ、集客が見込めることから、関係者は「安定した賃料収入が確保できる」と話している。

 また、複数の政府関係者によると、現行案では年間約40億円の運営費などがネックとなり、長期間にわたり約20億円の赤字が継続する可能性があると試算。新計画案で集客力のあるプロ野球が開催されれば、収益の向上や建築費用の回収が早まることも期待できる。

 新計画案の建築方法は、8万人分の座席のうち5万5000人分を仮設席として設置。五輪終了後に3万人分を増築して5万人台としても合計で建築費は約950億円と試算、最大で2100億円とされる現行案より、1000億円以上の削減が可能となる。さらに今回、明らかになった五輪後の運営方法で一層の収益の改善が見込まれる。

  この記事を見て私はハッといたしました。ナショナルスタジアムとしては8万人というキャパシティは必要でも、プロスポーツの常打ち小屋として5万人というのは国民的人気チームのキャパシティとしては必要にして充分の規模です。Jリーグにおいて国立は中立地で聖地であるという建前上本拠地に置くクラブの存在を認めておりませんし、条件が良い場所に本拠地を移転すると言うことが(むしろメジャーリーグの方が活発に)行われている野球と違い、サッカーはホームタウンという意識が強い故に、既存の強豪クラブが地方を捨てるということはあり得えないでしょう。

 となると、有力視されるのは野球ですが、まず以前から巨人首脳陣は「天然芝の新スタジアム」が欲しいという趣旨のことを公言し、現状の東京ドームの4.6万人規模でもキャパシティが不足気味なのです。さらに株式会社東京ドームは読売グループではない上に2020年代には築30年を超え老朽化という問題が迫ってきます。

そこに国立競技場を採算と低コストを錦の御旗にした野球場にする話を出し、あわよくば株式会社読売巨人軍がスタジアムの指定管理者となれば、実質的に「自前の球場」が破格の値段で手に入ります。一連の報道はそのための観測記事なのではないでしょうか?

とは言っても、あの当たりは競技場の建て替えをきっかけに神宮球場秩父宮などの突き再開発が予定されていた地。仮に野球場となったら再開発計画も1からの見直しを迫られますが、どうも読売グループと森喜朗氏と確執のようなドロドロとした話が容易に想像できます。

工期が五輪に間に合わないという理由であればまだしも採算性や建設費という理由だけで見直すというのは、いかにもデフレスパイラル的な発想であり、文化立国を目指す我が国にはふさわしくないと思っております。低コストで好採算性を目指せというのであれば、ゼネコンに設計を任せれば良いだけの話で、アトリエ系建築家の存在意義を最初から否定するような物じゃないのでしょうか?

反ザハ派におかれましては「見直されるヤッター」じゃなく、文化国家としてふさわしい建設のあり方や利権でドロドロという自体が起こらないように注視してほしいものです。

 

ギャンブルに二枚舌の日本共産党

競馬の各レースに協賛したり、パチンコが一大広告主であるマスコミもですが、共産党も大概な話。参院選当時、プログラムを用いて馬券を巨額に購入して利益を得ていた男性が、外れ馬券を経費として申請して脱税で刑事事件となっていた事があり、その件もありnetkeibaという競馬情報サイトでは各党に競馬産業についての見解を伺った記事があり、その中で馬券の払戻金に対する課税についての質問もありました。その件についての共産党の回答。

競馬は芸術品ともいえる競走馬と人馬一体のなかで、その極限のスピードを競う格調高く、伝統のあるスポーツです。中央競馬会が“ギャンブル性を高めて売り上げを増やそう”という方向性を強めていることは、競馬の健全な発展を阻害するものであり、賛成できません。競馬に数億円の資金を投入するような特別な事例で課税・非課税を議論することは、一般の「競馬ファン」の実際からもかけ離れ、競馬の健全な振興に逆行することになりかねません。(以下略)

引用先 ネット選挙解禁!! 競馬に関する政党アンケート、注目の回答を大公開 - netkeiba.com


共産党は競馬という競技について最上級とも言える賛美を送っています。その上で射幸性を否定しスポーツとして発展すべきという見解を示しております。

しかし、ギャンブルが禁忌であるイスラム圏で競馬が盛んなトルコはアルコールも製造される世俗主義国であることから日米欧と変わらないギャンブルとして存在し、ドバイでは全てのレースの一着馬を当てれば高級車などの高額な景品を貰えるという形で「ギャンブル」が存在しており、競馬とギャンブルは表裏一体であることは否定できません。

もちろん、日高地方においては馬産は基幹産業そのものであり、資金力のある大手生産者グループである社台グループの1人勝ちの定着などにおいて窮地に立たされていたり、多くの労働者などを抱えていることは事実です。

それでも、ギャンブルへの考えは二枚舌であると言わざるを得ません。

鳩山政権と同じ道を辿りつつある日本のエネルギー政策

 東日本大震災による原発の停止後、各地で建設計画が相次いでいる石炭火力発電所が運転を始めると、二酸化炭素(CO2の排出量が2030年ごろには少なくとも年間7100万~8900万トン増加することが朝日新聞の試算で分かった。日本全体の温室効果ガスの年間排出量を約5~6%押し上げる量で、地球温暖化防止の努力を帳消しにしかねない。

 電力会社の電力供給計画や報道発表、環境省が公開している小規模火力発電所の建設計画などを元に調べたところ、今後15年間で新設されたり、置き換わったりする石炭火力は、少なくとも32基1637万キロワットに上る。うち11基は11・25万キロワット未満の小規模なもので、法律による環境影響評価の対象とならない。

 石炭は安くて資源量も豊富だが、発電の際に出るCO2排出量が、ほかに比べて膨大だ。1キロワット時あたり平均886グラム、最新鋭の施設でも約710グラムと、石油の約1・3倍、天然ガスの約2倍となっている。

 設備利用率を東日本大震災前後の74~76%と仮定し、現状の石炭火力発電所並みの排出量の場合と、実証中の高効率の石炭ガス化複合発電をすべてで導入した場合を試算。すると、計画通り稼働した場合、CO2排出量は15年後に年間約7160万~8940万トン増加すると出た。今後15年間で運転開始から50年を経過する発電所がすべて廃止されると見込んでも4600万~6400万トン増加する。

 日本が京都議定書の第1約束期間(08~12年)の5年間で減らした温室効果ガスの量は年平均約1億500万トンだが、石炭火力で増える見込みの排出量は、その7~9割にあたる。

 LEDやヒートポンプなど高効率な省エネ機器の普及で削減された排出量年間500万トンの14~18倍。国連気候変動に関する政府間パネルIPCC)の報告書では、気温上昇を工業化前から2度以内に抑えるという国際目標を達成させる場合に、CO21トンあたり100ドルの削減費用がかかるとしており、8千万トン減らすには、毎年80億ドル(約9600億円)かかる計算だ。

 米国は13年に、事実上、二酸化炭素の回収・貯留技術(CCS)を導入しなければ、新設できない排出基準を提案。英国やカナダも同様の排出基準の施行を予定している。年末に開かれる温暖化対策の新しい枠組みを決める国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)以降は、温室効果ガスの排出に制限をかける動きがさらに強まることが予想される。

 石炭火力の増加を受けて、経済産業省環境省は13年4月に、電力業界全体にCO2を削減する自主的な枠組み作りを促す方針を決定。全国10電力で作る電気事業連合会(会長・八木誠関西電力社長)と新規参入の電力会社19社は今月、検討を始めることを明らかにしたが、電力自由化発送電分離を控え、とりまとめは難航すると見られる。

 政府は、石炭火力がどれだけ増えて、CO2排出量がどれほどになるかの見通しについて明らかにしていない。国の温室効果ガス削減目標を決める合同会合でデータの開示を求められた資源エネルギー庁の担当者は「石炭火力ができても、施設間の競争が起きて勝者と敗者ができる。示すことは難しい」と話した。(香取啓介)

だから言わんこっちゃ無い。原発を拒絶しておいて向かう先のは、もっともコストの安く炭素税などのペナルティがない石炭しかあり得ません。今の石炭市場は低迷を見せておりますが、石炭火力へのペナルティをとる国が増えたらますます石炭の需要が減り、石炭のコストが安くなり、石炭火力が増える悪循環となる可能性すら有るでしょう。

それに対して「施設間の競争が起きて勝者と敗者ができる。示すことは難しい」という答はこの事実に対し見て見ぬふりをしているとしか言わざるを追えません。

CO2排出の4割をしめる中国や米国がそれほど熱心ではないのに、石炭火力を増やすEUや日本ほどCO2削減に熱心という事実は、「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである」という名言を体現しているでしょう。

さて、こうした日本の動きを尻目にオーストラリアは大変に現実的な選択をしております。

 オーストラリアが推進していた再生可能エネルギー政策が、2年前の政権交代で百八十度転換し、先行き不透明になっている。「石炭派」のアボット首相のもと、温室効果ガスの削減目標の下方修正は必至。風力などの大型プロジェクトで投資引き揚げも相次ぐ。

 首都キャンベラの連邦議会から約60キロ。眼下に牧場が広がる丘で、強い風を受けて3枚羽根のタービン67基が回っていた。風力タービンメーカーの豪州センビオン社が2009年に操業を始めた最大出力13万キロワットの風力発電施設だ。

 「クリーンエネルギーの普及で地球温暖化を止めようと努めてきたのに、今になって汚れたエネルギー支持へ政策を変えるなんて、時代に逆行している。先が見えない中で投資家は離れ、企業も次々に撤退している」。同社のクリス・ジャド最高経営責任者(CEO)は表情を曇らせた。

 2年前の総選挙でアボット首相率いる保守連合が政権に就いて以来、豪州の再生エネルギー政策は一変した。政権は、温室効果ガスの削減目標設定や炭素税の導入など、「二酸化炭素嫌い」だった前労働党政権の路線を転換。各種のクリーンエネルギー政策を相次いで廃止し、気候変動関連組織の解体にも動いた。

 昨年には、再生エネによる発電を「20年までに全発電量の20%か、年間410億キロワット時にする」などと掲げた「再生エネルギー目標(RET)」の見直しも表明。正式な数値はまだ提示されていないが、再生エネによる発電量を一気に4割近く減らして「年間260億キロワット時」を目指すとみられている。12年度の年間325億キロワット時(小規模発電を含む)をも下回るレベルだ。

 野党・労働党影の内閣で環境・気候変動・水問題の担当大臣を務める労働党のマーク・バトラー下院議員は「アボット政権の愚かな政策転換で、国際的にクリーンだった豪州のイメージが台無しだ。260億ワット時では話にならない」と語る。

今の日本のエネルギー政策は八方美人でまるで鳩山政権と同じ道を辿りつつあるのとは対照的に賛否は兎も角、一貫性のある様は大変に清々しい。脱原発というなら自然エネルギーなんてものに金を払うわず、火力への全面回帰を宣言し、CCSや資源開発に全力を投じるべきなのではないでしょうか。

ところで、最初の記事にある識者のコメント

 《明日香寿川(あすかじゅせん)・東北大教授(環境政策)の話》 燃料代が安価な石炭火力は企業にとって短期的なメリットはあるが、稼働後数十年は温室効果ガスの高排出が続くことになる。将来、炭素税が課されたり、新たな対策を求められたりすれば、電気代に跳ね返り、日本全体でコストを支払うことになる。米国や中国などが石炭火力の規制を強めているなか、国際社会に向けて、日本は温暖化対策を放棄したというメッセージになる。石炭火力の分は、多くの国民が不安視する原発を使わずとも、天然ガス火力もあるし、省エネや再生エネルギー、電力間の融通でカバーできる。

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サウジは自然エネルギーの覇者を狙う?

世界の産油国が供給過剰による原油価格下落について気をもむ中、サウジアラビアは需要後退の方をより懸念していることを示す兆候が増えている。

 サウジ石油鉱物資源省のアドバイザーを1988年から2013年まで務めたモハマド・サバン氏は、世界最大の原油輸出国であるサウジは価格下落が消費を刺激すると見込んで減産を実施しないことを選択したと指摘。米銀バンク・オブ・アメリカBOA)の世界商品調査責任者、フランシスコ・ブランチ氏によると、サウジは燃料効率と再生可能エネルギー向けの投資動向を注視している。

 サバン氏はインタビューで「油田に原油が埋蔵されている限り需要が継続すると考えるべきではない。われわれは自分たちで準備をする必要がある」と語る。

 米国のシェール革命は、世界の原油供給減少の見方が時期尚早だったことを示した。クリーンエネルギーのコストが低下し各国が気候変動の抑制に重点を置く中、サウジは世界の原油需要がピークに近づいていることの方を、より懸念している。(ブルームバーグ Isaac Arnsdorf)

些か旧聞ですが 、以前も石油は競争力を失ったと言うことを書いたのですが、サウジがこのような認識を抱いているとは驚きました。

昨今の原油安は単なるシェール潰し、すなわち石油市場におけるサウジアラビアのシェア拡大ではなく、仮に石油そのものの一次エネルギーに占めるシェア拡大に動いてるとしたらこの原油安は長期化をすることは間違い無いでしょう。

しかし、ここで注意しておかなければならないのは、増え続ける人口と資源消費に対応するためにサウジ自身は自然エネルギーに多いに関心を抱いていると言うことです。

すると、ここである一つの仮説というか、もし私がサウジの国王であればこうするだろうなという施策が浮かんできます。それは石油価格のダンピングによって自然エネルギー産業を潰して、あとは買収により技術を買い叩くと言うことです。

なにせ中東の産油国は大昔から「石油がなくなった後」のことに強い関心を抱いていますし、大手石油会社もオイルショック以後からは新エネルギーの開発には大変に熱心であることを考えたら、石油で食べている国が、石油の次の産業を新エネルギーで食べていくということは一見したら意外ですが、自然なことではあります。

日本のエネルギー議論は専ら電力需給だけに矮小化して、「原発だ」「いや自然エネルギーだ」と言い争ってる状況ですが、だれもが関心を抱く電力供給すら電力自由化だと行って市場に任せたらどちらも選ばれずにおそらく大石炭時代になるでしょうし、既にその兆候は見えているのです。世界は日本のような矮小な雑事に政治のエネルギーを浪費せずに対極的かつ大きなスケールで動いてるのです。

エネルギーの本質というのは安価でいつでも使えることで、自給自足の実現はその手段となる可能性の一つにしか過ぎません。輸入に頼る日本では安価でエネルギーが買えることと言うのは世界平和と潤沢な供給の実現であります。そこに着目した議論が殆ど無い点で反原発派も原発推進派も落第点なのです。